1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

花王創業者 初代 長瀬富郎

1863~1885年 米相場で挫折し、小間物商に

石碑

花王神社に建つ初代直筆の石碑

墨田区にある花王東京工場(すみだ事業場、東京研究所)の正門を入ってすぐ右手に、花王神社がある。樹齢50年になろうかというソメイヨシノが鳥居を包むように枝を広げ、木もれ陽の中に『天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ』と記された石碑があった。創業者長瀬富郎の直筆になる遺訓である。

長瀬富郎は、文久3年(1863年)、岐阜県恵那郡福岡村に生まれた。中津川から飛騨に通じる道を付知川沿いに北上し、さらに支流の柏原川をさかのぼった山間の村である。実家は村役と造り酒屋を兼ねる家であった。前年には、将軍家茂に降嫁する皇女和宮の一行が中山道を中津川から馬籠に抜け、時代は夜明け前を迎えていた。

明治になって、学校を終えた富郎は親戚の塩問屋兼荒物雑貨商「若松屋」に奉公に入り、17歳で下呂の支店を任されるまでになった。しかし、独立心抑えがたく、明治18年(1885年)に上京し、150円(現在の500万円ほど)を元手に米相場をはった。が、あえなく失敗し、なけなしの金を失ってしまった。やむなく、日本橋馬喰町の和洋小間物商「伊能商店」につとめることにした。当時の馬喰町には、マッチ、靴、洋傘、帽子、コーヒーなどの舶来品を扱う問屋が軒を連ねており、なかでも石鹸の人気は大変なものだった。
石鹸は、織豊時代に「しゃぼん」の名で日本に入っていたが、庶民が手にできるようになったのは明治になってからのことである。輸入物は高価だったので、明治3年に大阪、続いて京都に官営石鹸工場が建設され、民間でも明治6年に横浜で製造が始まっている。ただし、化学工業が未熟なことと原料のやし油や苛性ソーダ、香料が入手難であったため、国産品は洗濯石鹸が中心だった。

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IRマガジン1999年8-9月号 Vol.39 野村インベスター・リレーションズ

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