1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

イビデン株式会社 初代社長 立川勇次郎

1916~1919年 電気化学工業へ進出

1916年(大正5年)6月、会社設立から3年半の歳月をかけて、岐阜県揖斐郡の広瀬川に西横山発電所が完成した。揖斐川電力の最初の発電所である。待望の営業活動が開始され、すでに大垣に進出していた摂津紡績(後のユニチカ(株))や、田中カーバイドへの送電が開始された。折しも1914年(大正3年)7月に始まった第1次世界大戦による大戦景気で、電力需要は拡大していった。

西横山発電所

1916年に完成した西横山発電所。イビデンの企業活動のすべてはここから始まった。
1942年に国家管理となり、出資した。現在は横山発電所(中部電力)の下に埋没し、その姿を見ることはできない

第2の発電所 東横山発電所

1917年より建設が始まったイビデンの第2の発電所、東横山発電所は現在でもイビデンの動力用に使用されている(上=建設中、下=1980年頃)


順調なスタートを切った揖斐川電力は、好況の波に乗って、1917年(大正6年)、余剰電力を利用したカーバイドと合金鉄の製造に乗り出した。さらに、新たな発電所を建設し、それを自家消費することによって電気化学工業への本格的な進出を図ろうと、同年、立川社長は別会社として揖斐川電化工業を設立し、2番目の発電所、東横山発電所の建設にとりかかった。翌1918年(大正7年)、揖斐川電力は揖斐川電化工業など3社を吸収合併して揖斐川電化株式会社と社名を変更し、電気事業と電気化学工業を事業基盤とする新たな会社として生まれ変わった。しかし第1次世界大戦後の反動不況で余剰電力を使った兼営事業は苦境に立たされ、揖斐川電化は再び電気事業を主体として事業再建を図ろうと、1921年(大正10年)、揖斐川電気株式会社に社名を変更。その後、カーバイドに加え、電気化学事業を強化するために1919年(大正8年)に参入したカーボン事業もしだいに軌道に乗り始め、電気化学事業の市場は拡大していった。
電気事業は事業自体が時代の進展に伴って発展するもので、需要も全国的に増加の一途をたどり、電源開発も各地で盛んに行われた。しかし各電力会社はしだいに無秩序な設備拡張に走るようになり、電力過剰の状態となっていく。このことは、やがて昭和に入ってから電気業界が大転換期を迎える遠因となり、揖斐川電気も創業以来の大きな危機を迎えることになる。

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IRマガジン2003年秋号 Vol.63 野村インベスター・リレーションズ

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