1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

新日本石油株式会社 初代社長 内藤久寛

1981年~ 合併、そして総合エネルギー企業へ

NEOS

2001年7月に誕生した新ブランドENEOS。「ENERGY/エネルギー」と「NEOS/ネオス(ギリシャ語で新しい)」という2つの言葉の組み合せより生まれた

1981年上半期に、石油業界は全体で約4,600億円の経常損失を生じた。石油審議会は、過剰設備の処理、元売の集約化、リーディング・カンパニーの形成などについて具体的方針の必要性を指摘した。元売各社はこれを受けて販売網まで含めた集約へと一斉に向かい、7グループ11元売体制に集約されていった。
日本石油は三菱石油を提携先として想定していた。長い伝統を持っていること、販売形態が似ていたこと、つまり、企業体質・企業資産を共有しやすい企業であることがその理由だった。三菱石油も同様の理由で日本石油を提携先に想定していた。1984年に両社は基本協定書に調印し、5年後には両社合わせて年間110億円の合理化を実現しようとする業務提携が実施された。
日本石油と三菱石油の提携関係は順調に成果をあげていたが、バブル崩壊後、1994年の第2次規制緩和は、石油業界に再び厳しい課題を突きつけるものとなった。石油製品輸入・輸出の自由化、給油所への参入規制の緩和、監視員常駐の有人セルフ式給油所の解禁など、効率的経営をめぐる新たな競争原理に、石油業界全体がさらされることとなった。

横浜製油所IPP

横浜製油所IPP(卸電力事業)装置

21世紀を見据え、コスト競争力に優れた収益力のある企業を目指すために、日本石油と三菱石油の思惑は再び合致した。1社の企業努力を超えた強力な企業体質の実現、すなわち合併である。1999年4月、両社の合併は実現し、社名を日石三菱株式会社と改めてスタートを切った。さらに2002年6月27日、新日本石油株式会社に改称し、新たな歩みを開始している。
現在、新日本石油は石油業界のリーディング・カンパニーとして石油事業をコアビジネスと位置付け、上流(石油開発部門)から下流(精製・販売)までの一貫操業体制の構築に全力を傾けている。さらに、IPP(卸電力供給)事業やコージェネレーションなどの電気・ガス事業、次世代のエネルギーとして期待される燃料電池の開発など、エネルギー事業の多様化を進めている。元売というポジションから、さまざまなエネルギーを取り揃えて環境や時代の要請に応える「総合エネルギー企業」というコンセプトへの変換である。エネルギーや環境の問題は、人間にとって最も基本的で重要な問題である。日本有数のエネルギー企業がこの問題にどんな答えを提示するか、私たちの期待は大きい。

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IRマガジン2003.春号 Vol.61 野村インベスター・リレーションズ

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