1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

味の素株式会社 創業者 二代三郎助

1941~1969年 戦後、事業再建への道のり

1941年12月8日、日本は米英両国に宣戦布告、日本経済は戦時体制に突入した。「味の素」は統制品に指定されるとともに、アメリカ向け輸出も禁止された。包材は入手困難となり、容器を一部ボール紙に切替えることを余儀なくされ、一切の広告が禁止された。さらに1945年4月15日、「味の素」の生産拠点であった川崎工場は大空襲によって手ひどい打撃を受けた。
終戦から半年ほどたった1946年2月、社名を味の素株式会社と改称、同年5月「味の素」の生産が再開された。この年、三郎は三代社長に就任、陣頭指揮にあたった。その後、1950年代後半から60年代にかけての高度成長期には営業努力と製法研究による販売価格の引下げにより、「味の素」は食卓に欠かせない存在となり、台所の必需品となった。

一方、味の素はこの頃、2つの危機に襲われることになる。ひとつは1956年、協和酵工業株式会社が発酵法によるグルタミン酸ソーダ(MSG)製造の工業化に成功したことである。味の素は、創業以来、植物性タンパク質を加水分解する抽出法によってMSGを製造していたが、糖質を発酵させて作る発酵法は、使用原料の多様さと製造期間の短縮などによってコストダウンを可能にしたのである。味の素は、MSGの新製法の開発にあたり、1956年12月、中央研究所を開設、1960年代半ば頃までに年間研究費約20億円を投じて、MSGをはじめ、イノシン酸、グアニル酸、各種アミノ酸、核酸関連物質の研究開発に取り組んだ。この時期、発酵法を開発する発酵部門と、MSGを化学的に合成する合成部門で、研究者たちはそれぞれ競い合って研鑚を重ね、その後につながる技術の礎を築いていった。こうして味の素は、「味の素」の工業化によってさらに躍進を遂げていったのである。

中央研究所

中央研究所

もうひとつは、1969年にアメリカのオルニー博士が提言したMSGの安全性問題である。これは消費者に衝撃を与えたが、味の素では、オルニー博士の実験は並外れて大量のMSGを使用したもので、安全性には何ら問題がないことを強調、同時に国内外の権威ある研究所に長期試験と追試を依頼し、中央研究所でも徹底的に実験を重ねた。1980年にはアメリカの食品医薬品局FDAがMSG安全宣言を公表し、国連のWHO、FAOもその安全性を認めて、MSGの安全性が科学的に証明される結果となったのである。これら2つの試練は、いわば"災い転じて福となす"といったところで、この時期の研究開発体制の強化と、安全性に対する厳しい姿勢が、各国における味の素の根幹を形成していくこととなった。

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IRマガジン2002年3-4月号 Vol.54 野村インベスター・リレーションズ

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