投機に失敗した三郎助は、ナカに葉山に連れ戻されたが、はじめ、ヨードの仕事にはさして関心を示さなかった。しかし、早朝から日暮れまで母や妻が真っ黒になって働く姿を眼にして、さすがに少しずつ心が動いたようである。
第一号のグルタミン酸
一方、東京帝国大学教授、池田菊苗博士が、湯豆腐のダシ用昆布のうまみの正体を探ろうと思い立ったのは、三郎助が投機に失敗し葉山に戻ってから10余年たった頃である。博士は、甘・酸・鹹・苦味の他に独立した味が存在すると考えた。やがて、その正体がグルタミン酸であることを突き止め、その製造法を発明して特許出願した。そして1908年2月、昆布の研究をしている博士がいることを伝え聞いた三郎助は、紹介状を手にして博士の研究室を訪れたのである。しかし、博士の研究は昆布とは言っても、ヨードとは関係のないうまみについてであった。
湯のみに少量の粉末を入れてお湯を注いだ飲物は「なるほど味はよいが、お湯を注ぐとシュウと泡立ったので実用としてはいかがなものか」と感じた程度。三郎助は早々に辞去したが、博士はこの発明品を栄養不良を救済し得る廉価なる新調味料であると確信していた。そこで、これを世に出すべく中央実業界へ事業化を働きかけたが、当時は誰からも相手にされない。そのとき頭をよぎったのが、その年の春に訪ねてきた三郎助のことである。博士は、1908年7月25日、特許が許可されたのを契機に、8月、三郎助に事業化を依頼した。