24 平安貴族の女性にはお金がかかった
平安時代に最も大きな権力と財を成した貴族と言えば、藤原道長でしょう。道長は、娘を天皇のキサキとして姻戚関係を結ぶことで、摂政の地位などを得ました。
娘を天皇のキサキにするためには、身の回りの世話をし、教養やマナーを身につけさせる「女房」とよばれる付き人が必要でした。道長の長女・彰子の女房であった紫式部や、藤原道隆(道長の兄)の長女・定子の女房であった清少納言などが有名です。一人の娘につける女房の数はさまざまで、高い位の貴族の娘には数人から数十人の女房がついていました。
道長の娘・彰子が一条天皇の中宮になる際には、40人の女房がついたとされています。道長には、彰子を含めて四人の娘がいましたので、はたして娘たちの付き人代の総額はかなりのものだったのではないでしょうか。
2千円紙幣裏面の図柄「紫式部日記絵巻」の紫式部
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