9 両替商は銀行のルーツ~江戸時代のお金の仕組みとは?
江戸時代は、モノによって代金を「金貨で払うもの」、「銀貨で払うもの」、「銅貨で払うもの」に分かれていました。
また、高額な取引の場合、関東エリアでは「金」を、関西エリアでは「銀」を使う独特の風習("関東の金遣い、関西の銀遣い")もありました。
さらに、金・銀・銅ではそれぞれ単位も呼び名も違っていましたし、いくらの金貨といくらの銀貨を交換するのかという相場も頻繁に変わっていたので、買い物のときは計算が大変でした。
徳川幕府の貨幣制度
(資料出所:日本銀行金融研究所)
そこで発達したのが「両替商(りょうがえしょう)」でした。
両替商とは文字通り、金・銀・銅の交換を専門とする商人ですが、経済活動が活発化するにしたがって巨大な富を得るようになり、単なる両替だけではなく、人々からお金を預かったり、貸し付けたり、遠く離れた土地へ送金をしたりするなど、今の銀行のような役割を果たしていました。
特に有名な両替商には鴻池(こうのいけ)、三井、住友があります。このうち三井・住友はそれぞれ現在の大手銀行グループへと発展していくことになります。
江戸時代につくられた貨幣は、大変質が高かったと言われていますが、江戸幕府の財政が苦しくなり、貨幣の材料となる金属が不足するようになると、金や銀の質を落とした貨幣がつくられるようになりました。
しかし、国の経済規模をはるかに上回るほどのお金を発行してしまうと、物価がどんどん上がる現象(インフレーション)が起こります。(コラム「世界で最も高額なお札って、いったいいくら?」を参照) 日本の江戸時代も同様で、質を落とした貨幣を次々と発行した結果、幕末期にはインフレが発生。当時の人々の生活をたいそう苦しめたといいます。