5 日本で最初の「お札」とは?
本格的なお札は、江戸時代に各藩が発行した「藩札」が最初といわれています。藩札とは、各藩主が有力商人の協力を得て、自分の領土内だけで使えるお金として発行する藩独自の地域通貨です。各藩は、江戸幕府が発行する金貨・銀貨などに対応した「金札」「銀札」などを発行していました。1661年に福井藩が初めて発行したといわれ、その後明治維新が起こるまでの間に、計244の藩で藩札が発行されたという記録が残っています。
多くの藩は財政難に苦しんでいたので、それを解消するために無闇に藩札を発行してしまうことが多かったようです。そのため藩札は人々の信頼を失い、価値が暴落するケースもしばしばありました。
明治時代に入ってからのお札には、政府が発行した「政府紙幣」や、各地に設立された国立銀行が発行した「国立銀行紙幣」などがありましたが、当時の日本はまだ政治が混乱していたこともあり、十分には定着しませんでした。1877年には紙幣を大量発行しすぎたため、激しい物価高を引き起こしてしまいました。(物価とお金の関係については「世界で最も高額なお札って、いったいいくら?」を参照。)
現在のように、日本銀行が「日本銀行券」として正式なお札として発行するようになったのは、1885年(明治18年)のことです。
初めて発行されたのは「拾円券(10円券)」で、商売の神様とされる大黒天の絵が描かれていることから「大黒札」とも呼ばれていました。このお札は紙質を強めるため、こんにゃくの粉を使うというユニークな工夫がなされていました。しかし、そのせいで「虫やネズミの害を受けやすい」という問題がまもなく発覚。数年後には新しい紙幣に代わったそうです。
大黒札拾円券
(出所:日本銀行金融研究所)
私たちが安心して「お札」を利用できるようになるまでには、大変な時間がかかったのですね。