1. 金融そもそも講座

第4回「勢いに乗ったブラジル」

ワールドカップもオリンピックも

2016年の東京招致が叶わなかったのはちょっと残念だが、それにしても驚くのは70年代、80年代には世界経済の落第生と言われていたブラジルのここに来ての目覚ましい台頭である。ブラジルのリオデジャネイロは今回のIOCのコペンハーゲンでの総会で2016年の夏のオリンピック開催権を獲得したが、それ以前に同国は2014年のサッカーワールドカップの開催国にも選ばれている。これほど相次いで二つの世界でも最大級の国際大会を開催する国はかつてなかった。

なぜブラジルなのか。この国の昔を知っている私のような人間にとっては、「時代も変わったものだ」と思う。ブラジルが70年代、80年代にいかに落第生だったかは、もういまはないクルゼイロなど同国の通貨が辿った経緯を見れば分かる。

1942年 レイスからクルゼイロに(1/1,000)
1967年 クルゼイロを新クルゼイロに(1/1,000)
1970年 新クルゼイロをクルゼイロに(名称のみ)
1986年 クルゼイロをクルザード(Cz$)に(1/1,000)
1989年 クルザードを新クルザードに(1/1,000)
1990年 新クルザードをクルゼイロ(Cr$)に(名称のみ)
1993年 クルゼイロをクルゼイロ・レアル(CR$)に(1/1,000)
1994年 クルゼイロ・レアルをレアル(R$)に(1/2,750)

レアル 「フリー百科事典 ウィキペディア日本語版」

戦後のたった60年間にこれほど通貨単位や呼称を変えた国はない。この間当然だが、日本はずっと「円」だ。日本が「円」という呼称を何回も変えなければならない混乱の国だったとしたら、今の日本はもっと貧しく、犯罪の多い全く違った形の国になっていたはずだ。なによりも思い出すのは、ブラジルが慢性的に直面した酷いインフレだ。通貨の価値は下がり、それ故に世界中の誰もが価値の下がるブラジルの通貨を持とうとはしなかった。

ところがどうだろう。今の外国為替市場では、ブラジルの通貨レアルの価値はむしろ上昇している。弱いドルに対してはむろん、世界の主要国通貨に対して強いのだ。そして、ワールドカップ、オリンピックと国際的な大会を二つも今後10年の間に開催することになった。

効いた貧困者対策

何が変わったのか。ブラジルの混乱を改善に向かわせたのは90年代半ばのカルドーゾ政権である。同政権は1995年~2002年にかけて金融政策や財政政策の適切な運営によりまずハイパー・インフレの収束を実現、経済の安定化を図った。これに続くルーラ大統領の労働者党(PT)政権は2003年1月から足早に年金改革、税制改革、貧困対策を実施し、2007年1月からの第2期ルーラ政権下では低所得者層に生活支援を行い、経済の活性化を図った。これにより所得水準上昇が実現した結果中間層も増大、それが消費の活発化に繋がり、加えての”資源国”としての有利な立場を利用しながら強い経済を実現している。

経済が良くなれば、政権への支持率も上がる。2008年10月に実施された統一地方選挙でも連立与党は着実に勢力を伸ばし、そしてここに来ての二つの大きな国際大会の開催権獲得である。のりにのるブラジル。

需要の強さ故の成長

過去10数年の適切な経済政策、資源価格の高騰など様々な要因はあるが、ブラジル経済の好調の最大の要因は、強い国内需要である。貧困対策などが結実し、国民の多くがいわゆるボリューム・ゾーン(年間可処分所得5,000ドル~35,000ドル程度の新興国中間層)に入ってきたことだ。このゾーンの消費者は今までが貧しかったが故にそもそも消費意欲が旺盛である。車、テレビと買いまくる。「これから自分の国は良くなる」と信じているから、なおさらだ。世界ではそういう国として、中国、インドなどがあり、今の世界はこうした「モノを買いたい」と思っている消費意欲の強い消費者を沢山もつ国が牽引しつつある。

人口が2億人になろうというブラジルは、その手の国の代表選手である。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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