1. 金融そもそも講座

第25回「どうやって情報を“読む”か PART3」笑い話、でも現実 / かっけ反応 / 経済に弱いテレビ

前回は「(報道を)割り引く知恵」という話で終わった。日本の新聞報道の“癖”はむろん、日本のテレビ報道の癖にも通じるところがある。なぜなら、日本のテレビ報道のかなりの部分は、新聞をベースにしているからだ。

もっとも、テレビにはテレビ独自の大きな癖がある。普通の人間は首を回せば、300度くらいの視界を常に持っている。なんとなく広角度を見渡しているのが人間で、視界は広い。これに対して、極度に狭められた視界の、それも非常に限られた場面をあたかも「世界のすべて」「その場のすべて」のように映し出すのがテレビという存在だ。

笑い話、でも現実

私がテレビの弊害としていつも笑い話的に、しかし深刻な例として思い出す事件がある。それは2007年の7月に起きた。新潟県中越沖地震で東京電力柏崎刈羽原発から放射性物質を含む水漏れ事故があったのだが、日本人は皆「水漏れ事故の影響があるのは新潟県の一部の地域」という基本的な知識があり、他の地域の人間(例えば東京に住む私)は自分が住む地域の安全を心配したわけではなかった。

しかしその地震・水漏れ事故直後に来日してサッカーJリーグ1部(J1)のいくつかのクラブと親善試合を予定していたイタリア1部リーグ(セリエA)のカターニアは違った。直後だったことが大きかったと思うが、7月末から8月上旬に秋田で横浜FCと、磐田でジュビロ磐田と、千葉でジェフ千葉と予定していた3試合をすべてキャンセルしてきたのだ。

恐らくイタリアのテレビに映った地震のニュースと、「柏崎刈羽原発での水漏れ事故」の映像が衝撃的だったのだろう。イタリアのテレビの映像は、時間的制約もあるからどうしても「現実の一部切り取り」になり、それがかなり衝撃的なものだったと思われる。イタリアの人々は「日本全部が危険」と推測した。それで「遠征取りやめ」となった。

しかしこうした事態はよく発生する。イラクで「自爆テロ」の報道が繰り返されると、イラク全土が自爆テロの連続に見舞われているように世界中の人が思う。「治安は劇的に良くなった」と米軍が発表する。そこに食い違いが起きる。日本でも悲惨な交通事故の映像が映し出されると、瞬間的に「日本では交通事故が増えている」と日本人自身が思う。しかし実際には交通事故死は日本では年々減っている。

つまり、人々はしばしばテレビの一画面が、「現実のごく一部の切り取り」であることを忘れてしまう。特に自分が行ったこともなく、知識が希薄な所の出来事だと、テレビで見た画面のような状況が、その国、地域全体で展開しているような“錯覚”に取りつかれる。当の日本人が秋田や磐田、それに千葉に住むことを心配していなくても、イタリアから見れば極東の小さな国である日本の一カ所で起きたことは「日本全部で起きている」と考えてしまったのである。

かっけ反応

カメラの視角は人間の目に比べれば著しく狭いし、いつも全体を映そうとして振っているわけにもいかないので、これはカメラの避けられない欠陥と呼べる。だから見ている方として、テレビにはそういう限界があることを十分認識しておくべきだ。

テレビの報道とマーケットの関係には、いくつかの興味深いケースがある。例えば地震。大部分の日本のテレビは、特に日本で起きた震度はすべて速報し、その地震が大きいとNHKなどは地震速報一色になる。その時、しばしば起きるのは「円売り」だ。「日本が地震」→「日本経済に打撃」といった定まった連想が働くからだ。

これを英語では「knee-jerk reaction」と呼ぶ。訳せば「かっけ反応」だ。大きな地震で円安になると私はいつも、「またか」と思う。しかし日本の地震で一時的に円が安くなっても、大部分のケースにおいては実態が明らかになると同時に、日本円はもとの水準に戻る。それは、地域色の強い地震がいくら大きくても、日本経済全体が大きな打撃を受けるようなものではないからだ。地震ばかりではない。「これがあったら円安」「これが起きたら円高」といったknee-jerk reactionのパターンは市場ではいくつかある。

過去の例を言うと、貿易摩擦は通常においては「円高」がかっけ反応の結果である。「摩擦の深化→海外諸国の円安批判→円高圧力」という連想が働くからだ。もしそうだとしたら、情報の読み方の常道として、この騒動はいずれより内容が理解されて、バランスのとれた方向に落ち着く、よって市場に対する影響力は割り引いて考えねばならない、ということになる。

こうした市場の癖を覚えておくことは非常に重要だ。私の経験から言うと、企業の不祥事があるとその反応としてはまずその企業の株式が売られる。しかし、「では一体その不祥事はどのくらいその会社の将来に影響するのか」という見直しが入って、「それほど大きな事ではないかもしれない」と買い戻されることが多い。不祥事が起きれば、企業だってそれを乗り越える努力をする。だから、「不祥事で下がったところは買い」が市場の一般的な知恵だ。

経済に弱いテレビ

テレビで特に気をつけなければならないのは、テレビは全体的に見れば「経済に弱い」ということだ。これは、良い映像がなければ成り立たないという制約からくる。株価には株価ボードがあり、為替にはブローカーの取引仲介作業の絵を使えばいいと思うが、それらの絵を長く、興味深く見せることは容易ではない。構図としては単純で変化に乏しいからだ。

テレビ局を見ても、テレビ東京、日経CNBCは「経済」や「マーケット」を中心に据えているので別だが、その他の局は大部分がドラマやバラエティが番組の中心であり、ニュースも社会・政治ネタが多い。解説者も経済畑の人は少ない。私がここ数年間ずっと出ているテレビ朝日の「やじうまプラス」(月~土曜日の午前6時から8時)を見ても、経済を詳しく解説できるのは全曜日を通じて18人のコメンテーターがいる中で私だけだ。その結果、経済に関する特集ビデオなどはほぼ必ず私がいる木曜日に放送され、それに私がコメントを付けるという形を取った。

そういうテレビ局が経済ネタを扱うときは、そもそもそのネタが非常に大きなものか、テレビを見ている主婦の関心が持てる話題であるか、政治や社会に絡んでいる問題のケースが多い。景気悪化とか極端な為替相場の変動などである。しかしテレビには厳密に「時間的制約」がある。テレビとは、一人の人間が1分間喋ると限りなく長いと感じる代物だ。よって、その短い間に複雑な経済問題を分かりやすく語らねばならない、という強い制約が存在する。その為に、経済に詳しい人には、「あんなことしか喋れないのか」と言われてしまうことも出てくる。

VTRとその短い喋りでの経済報道は、はっきり言って不満足なケースが多くなる。だからテレビが大まじめで経済問題を論じているときには、それが大きな問題であるものの報道内容には限界があると認識し、いろいろなその他情報源、例えば新聞、雑誌、ネットなどで補完するようにしたい。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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