前回まで「どうやって情報をとるか」をシリーズ的に扱ってきたが、今回からは、ゲットした情報をどう“読む”か、を考えてみたい。まず今回はマスコミの“癖”から。なぜなら、口伝え、噂など情報源はいろいろあるが、やはりメディアによって伝えられるケースが多いからだ。今回はメディアのうち「新聞」を取り上げる。
情報の”癖”
多分皆さんは「情報の癖」という言葉を聞いたことがないと思う。しかしこういう言い方をすれば分かってもらえるかもしれない。例えば「比較的横並びだといわれる日本の新聞の中でも、比較的左寄りの新聞もあれば、右寄りの新聞もある」という見方には賛同する人が多いだろう。これは各メディアが持つ「癖」である。我々は知らないうちに、「この新聞だったらこう書くだろうな」と納得したりする。
考えてみれば、同じ出来事に関しても人それぞれ、時に微妙に、そして時に大きく見方は違う。それは家族の中でもしばしば食い違う。それが当然なのだが、それは情報の発信元にもある。「この新聞がどうしていつもとは違う書き方をするのか」と首をかしげるケースもあるにはあるが、ほとんどのケースにおいて、新聞ごとに大まかな思想の方向性は決まっていて、「この新聞だったらこう書くだろう」と思えば、大体その方向性であることが多い。社会保障の問題、戦争と平和の問題、日本という国の根本に関する問題などなど。
それは日本国内ばかりでなく、ある国のメディア全体にもいえる。例えば日本でよく取り上げられる北朝鮮のメディア報道は、徹底して「金正日万歳」であって、彼と彼の体制の価値基準がその国のメディアの価値基準にそのままなっている。独裁体制故にそうなるわけで、北朝鮮では金正日総書記が工場見学しても、それが一面トップになる。日本の首相がどこかの企業の工場を見学して、それが新聞の一面トップになることはまずない。特定の個人が神格化した地位を持つ北朝鮮だからこその話だ。
中国のマスコミにも(大勢の人が目にするという意味で)、癖がある。それは依然として中国が「建前上は社会主義国家」であることの名残の面が大きく、国家の通達などが大きく扱われる事が多い。また中国が有人飛行船を打ち上げたりすると大騒ぎになる。大方において、「国威発揚型」のメディアが中国では多い。むろん、中国のメディアの中には時として反政府的な媒体・記事も登場するが、その場合にはしばしば政府から弾圧を受ける。ネットも反政府的色彩が濃くなると規制が入る。中国にはまだまだ「メディアの自由」はないといえる。
米国や英国にも、マスコミなどのメディアに癖はある。特徴はまず「社会に階層」があるということだ。例えば英国では高級紙「タイムズ」を読んでいる人が、大衆紙「デイリー・ミラー」も読んでいることはほとんどあり得ない。社会そのものが階層社会だからで、米国でもそういう傾向が少し残っている。「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」は東部の高級紙であって、発行部数は日本の1000万に達するような新聞の足元にも及ばないが、世界的な影響力という点では非常に大きいし、米国全土で知的レベルの高い人々に読まれている。
しかし3億に達する米国の人口にしてみれば、こうした高級紙を読んでいる人の数は少ない。ごく一部の人に読まれているに過ぎない。英国と米国の高級紙の特徴は、「常に世界に目を向けている」「時に政権をひっくり返すような特ダネを放つ」などだ。だから、日本でも注目されることが多く、筆者もなるべく目を通すようにしている。今はネットがあるから便利だ。以前は日本では個人で買って読むには高かった。今は英語が事実上、世界共通語のレベルにあるので、世界で非常に影響力が大きい。米国には数少ない全国紙として、ビジネスを扱う「ウォール・ストリート・ジャーナル」があり、これも英タイムズと同様に世界中の指導者が読んでおり、世界的な影響力を持つ新聞である。
日本の新聞の癖
では日本の新聞の癖はどうか。それは、
- ・先進国では珍しく発行部数が多い
- ・残念ながら、日本語の地域性もあって欧米の新聞ほど世界では注目されていない
- ・階層よりは思想方向が比較的はっきりと表れる傾向が新聞によって出てきている
ということなどだ。例えば読売新聞の発行部数は1000万部に達すると発表されている。これは世界の新聞の中でとても多い方だ。これをしのぐのは、中国など一部の国の新聞だけだ。中国の人口が13億と、日本の10倍であることを考えれば、いかに日本人が新聞好きであり、社会的地位に関係なく同じ新聞を読んでいるのかということの証拠である。しかも全国で読まれている一般紙が複数あり、加えて経済に強い日本経済新聞がある。こんな国は世界にもあまり例がない。米国の新聞業界は、大部分は地方紙の集まりである。
しかし残念ながら、大きな発行部数を誇りながら、日本の新聞が世界中の指導者に読まれている、ということはない。これは日本語が多くの外国人にとってなかなかマスターできない言語であるということにもよるが、私の理解ではどちらかといえば日本の新聞そのものが発信に関して「内向き傾向」が強いためではないか、と考えている。日本が世界第二位の経済大国であったときでさえ、世界の指導者の中で「日本の新聞はどう書いているか」を気にしていた人は少なかったといえるが、一つの理由は、日本の新聞メディアが国内市場の大きさに気を取られて、世界への発信をあまり行ってこなかったからだ。
日本のメディアは海外の情報は記事の中にふんだんに入れるのに、海外には自らの力で発信することをあまりしなかった。もっぱら国内の競争を行った。せいぜいしたのは、ニューヨークやロンドンやパリに住む日本人向けに日本語の新聞を出すくらいで、日本の新聞各紙は英字紙も出しているが、例えばロンドンやニューヨークの街角でそうした日本の新聞社の英字紙が売られているのは見たことがない。
日本は社会的階層で読む新聞が変わるということはないが、考え方で新聞を決めているケースも多い。日本には地方紙にも有力な新聞が多く、配達制度が充実しているのも特徴である。
日本の新聞のもう一つの癖
これとは別に、市場を見ているこのサイトの読者には知っておいてほしいことがある。それは、経済摩擦など海外諸国とのあつれきが起きたときには、日本の新聞は必ず海外の圧力を実態より大きく伝える傾向がある、ということだ。それ故に、日本の新聞だけ読んでいると、「米国はこんなに怒っている」といった印象を受けて、それが株安や円高を引き起こしやすくなる。しかし少し実態が分かってくると「日本の製品の愛好者が米国にもいる」「米国が怒りだけで一致団結しているわけではない」といった見方が広がる、ということがしばしば見受けられる。
例えば、自動車摩擦。デトロイトの街角で日本車に対する反感を持つグループが日本車を道路に引き出してそれをハンマーで叩くなど破壊行為を行ったとする。すると新聞を含む日本のメディアは、こぞってこれを大きく報道し、「米国はこんなに怒っている」といった報道をする。むろん、一角でそういうことが行われたことは事実だが、しかし一方で「日本車は品質が良い」として日本の車を買い続けている消費者はたくさんいるわけで、そうした事実は報道の影に隠れてしまう。ちょっとアンバランスになるのだ。反日本車の動きもあるが、実は多くの米国人が日本車を買ってきたからこそ、日本車のシェアはほぼ一貫して戦後伸びてきたのである。
しかし日本の新聞はひたすら摩擦が激しいときにはそのことだけを誇張して書く。「米国はこんなに怒っているぞ」を強調する。それには幾つかの背景があるが、続きは次回にしよう。(続)