1. 金融そもそも講座

第48回「最難関は国民意識」

前回は「世界政府」「世界中銀」設立に向かう上での問題は、世界中の政治家による政治的意思の欠如だと書いた。しかし、政治とは良くも悪くも彼らを選ぶ一般国民の意識、そして希望の反映でもある。ということは、「世界政府」「世界中銀」という理想はあるものの、実は我々一般国民がそれを望んでいない現実があるのではないか。

対立の多い世界

具体的に考えてみるとよい。例えば、国民の権利をどの程度認めるかなど、いつも対立している米国と中国が、同じ政府の下で価値観を共有することが可能だろうか。中国では、政治を握っている共産党と、一般国民の間に大きな意識の差がある。それは最近の高速鉄道の事故処理を巡る国民の政府批判の強さを見ても、大連の化学工場移転を巡る一連の動きを見ても明らかだ。中国でも「政府vs.国民」の図式が出てきている。

ということは、中国でも一般国民は米国の国民と似た価値観を徐々に獲得しつつあるといえる。そういう意味では、この二カ国が共有できる価値観を将来持ちうる可能性はある。しかし現時点では、国民選挙を認めない共産党主導の中国政府が続く限り、米国との価値観の共有は無理だろう。両国政府が持っている哲学が、全く違うからだ。

では米国と中国のような「最近の対立」ではなく、歴史的に何千年もいがみ合っているイスラエルとアラブのことを考えてみる。ここには、価値観の共有はあり得ても、根深い歴史認識の差、歴史的怨念、そして将来の民族のあるべき姿に対する理想が全く違う。聖地を巡る争いが収まる兆しは全くない。今のイスラエルがある土地は、歴史をひもとけば民族が入り乱れて居住した長い過去があり、「誰の土地」とは決して言えない。現状の力関係で均衡が保たれているだけだ。

強権政府なら可能?

世界政府ができれば、こうした対立は収まるだろうか。無理だろう。世界政府ができたとしても、アラブとイスラエルはすぐに古い対立を持ち出して争い、時には戦争を始めるに違いない。「国の自衛権」以上に「民族の記憶」「民族の連帯」は堅いもののように思える。

筆者が一つ思い出すのは、かつての“ユーゴスラビア”だ。民族的に複雑なこの地域だが、社会主義の思想とチトーという指導者の存在で、戦後の一時期には安定した一国家として存在した。しかし、チトーが死に、社会主義が理念であることをやめた段階でばらばらになり、民族対立の醜い争いが繰り広げられた。

ということは、上に立つ組織が超国家的、超民族的に強い存在(理念や指導者の力で)になれば、それが「世界政府」になり得るということだ。そうすれば、「世界中銀」も可能だろう。だが今のところEUでも金融と通貨権は各国から預かっているが、財政に関する権限は各国に残ったままだ。それはEU各国の国民が反対するからで、となると世界政府にそれだけ大きな権限と権威が与えられる可能性は少ない。

EUは現状の統合を維持するのにも相当苦労している。キリスト教と民主主義という共通の基盤があるが、それでも時々それぞれの国内で「民族の独立性をそこまで譲るべきでない」という統合に抵抗する国民投票結果が出ることがある。そのたびにEUはあたふたとして「統合維持」に向けた各国国民への懐柔策を用意する。結構、統合のコストは高いのだ。

日本でも、中国、韓国、ロシアと領土も絡んだ外交上の主張の行き違いを抱えている。国民意識も様々だ。EUに模した「アジア共同体」の発想はあるし、その必要性を唱える政治家もいる。しかし、それが具体的に討議されたことはない。せいぜい(外貨不足などの)危機の時の助け合い程度にとどまっている。

重大危機で誕生する可能性

では「世界政府」「世界中銀」は絶対できないのか。筆者はそんなことはないと考えている。例えば、グローバルな、地球全体にとっての危機といえる環境問題の深刻化が起きれば、「各国任せや、各国の協調だけでは無理だ。やはり世界政府の強権が必要だ」という意見が強まるかもしれない。実際のところ環境問題は、最初に触れたように世界的なアプローチが必要になっている。

もっと可能性があるのは、地球全体にとって脅威となるような敵、例えば敵対的な異星人勢力の地球侵攻などのケースだ。そうした事態になれば、急遽“中央司令”の役割を担う組織が必要になって、それが「地球政府」になる可能性だってある。世界ではいつも予想外のことが起きてきたし、今後もそうだろう。だから今考えられる想定になくても、その確率が少なくても、起こりうるのだ。

「世界中銀」については、こうした危機がなくても既に指摘したような具体的ニーズがある。改めて以下に列挙する。

  • 1. 世界的な物価安定化策
  • 2. 無秩序な資本の流れのコントロール
  • 3. 世界経済の安定成長の達成
  • 4. 安定成長に伴う雇用の安定

これらができれば世界にとっては朗報だし、実にすばらしい。実現の可能性は非常に低いものの、可能性はゼロではないと筆者は考えている。

しばらく現実離れした話が続いたので、次回はもっと現実的な、世界で起きつつある「債務危機」に触れる。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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