欧州が直面している危機。ユーロは解体の瀬戸際にまで追い込まれている。今回は、なぜ危機が起きているのか解説する。
まず、なぜ?
経済活動の主体は三つだ。個人、企業、そして地方公共団体を含めた政府部門。これにはむろん“国”も含まれる。個人にも企業にも破綻のルールがあり、借金が増えすぎて収入や資産から見て返済が不能になると、個人の場合は「自己破産」ということになる。企業が同じような状態になると「倒産」だ。景気の悪いときには企業の倒産は増える。個人、企業にとって自己破産、倒産は屈辱であり、その後の経済活動は制約される。いずれのケースも圧倒的に“借金過多”が破綻の原因だ。
「経済の主体である政府は行き詰まるものなのか」、「もし行き詰まるとして、個人や企業のように法で律することができるのだろうか」というのが今の欧州の問題である。政府は多くの個人や企業をまとめ上げる存在であり、破綻することはない前提で世の中は進んできた。地方公共団体が行き詰まれば国家が面倒を見るだろうし、その国家は税金を増やすなどして歳入を確保できるし、いざというときには支出を減らせばよいから破綻などは起こらないという考えだった。よって、国家が発行する債券(国債)は、投資対象の中でも“安全”なはずだった。
しかし今回の危機で、政府も個人や企業と同じように行き詰まるという重要なことが分かった。しかも一部の国だけではなく、多くの国で現実に生じている。前回取り上げたように、ギリシャとイタリアではエコノミスト宰相が生まれるまでに、経済と国家運営が行き詰まったのだ。
政府が発行する債券を「国債」とか曖昧な言葉を使っているが、要するに「国の借金」である。10年債とは「10年後に全部返します」という国の借金証書だ。「国だから大丈夫だろう。返してもらえるだろう」と個人も機関投資家も買ってきた。しかし、借金が増えすぎれば、国も返済ができなくなるという原理は同じであり、金利が7%とかになると利子支払いの負担が増えるのは、高い金利でお金を借りた個人や企業と同じなのだ。その国の経済規模(GDPなどの統計で示される)を大きく上回るような借金は、やはり国でも返せない。今回それが分かった。
しかし「借金を返せなくなった国をどうするのか」については、個人でいう自己破産の制度もなければ、企業でいう倒産のシステムもない。そもそも想定していなかったのである。
ルールなき世界
「国も個人や企業と同じように破綻させてしまえ」という意見もある。甘えは許されるべきではない、と。しかし、個人や企業の破綻は経済全体から見ると局地戦で済むが、国を破綻させるとなると、例えば警察が機能しなくなって組織犯罪が増えたり、その国を嫌がって難民が増えたり、近隣国にとっても迷惑なことが起きる。だから今でも「国家は破綻させられない」という前提で世の中は動いている。
「じゃあ、国がしっかりと財政運営をしたら」と常に問いかけているのがマーケットだ。例えばギリシャはGDPに対して140%近い借金をしていた。国外からの借金も多く、その借り換えの金利が大幅に上昇してきていた。「そんな危ない国の国債はもう買いたくない」と思った投資家が多くなった段階で、「ギリシャが危ない」と判断する個人、機関投資家が増えた。金利が上昇して債券を実質的に出せないケースを含めて、国債が売れなければお金が入ってこず、国は今までほど数多くの公務員を雇っていられなくなるし、公共事業など各種事業もできなくなる。そうなったら、周囲の国も迷惑を被る。
ギリシャは観光と海運程度しか産業がないのに、やれオリンピックだとか、近年巨額の政府支出をしてきた。国民の数に占める公務員の数も多いし、年金を50代からもらっている国民が多い。それを賄っていたのが、海外からの借り入れを含む借金(国債発行)だ。しかしそんな事が長く続くわけがない。それは個人や企業と同じであり、「高い金利でしかお金は貸せない」と市場は考えた。
最後はその国のやる気
個人が自己破産したり、企業が倒産して再建の過程に入ると、厳しい自己規制を迫られる。支出を抑え、仕事を一生懸命することを要求される。市場は政府にも同じ要求をしているのだ。それがないと周囲の国がいくら手を差し伸べても、「国には自己規制が効かない」ということになって、最後はその国にお金を貸すことをためらうようになる。
欧州が抱えた問題は、経済的な実力以上に政府が国民の要望に応えすぎていた、という点である。年金、失業保険、それに各種国家負担のサービス。これらは先進国を構成する重要な要件だが、あまり甘くすると、国の借金がかさむ仕組みになっている。かさんだ借金は「将来の世代の負担になる」といわれている段階ならまだしも、「その国の力ではもう返せないのではないか」と思われた瞬間にマーケットはその国に高い金利を要求し、貸し渋りに動くことになる。
EUという大きな近隣グループをつくったために、特に南の国々が自国の力を過信したことに問題がある。例えばドイツは、自動車をはじめとして、航空・宇宙などを除くあらゆる産業分野で世界的に通用する企業を抱えている。つまり産業力の強い国だ。産業力のない国がドイツと同じような生活、給付水準を続けられるわけがなかった。しかし金融政策の統一によって同じような金利を享受できるようになった欧州の南の国々は“ドイツ並み”、時にはそれを上回る生活水準や社会保障水準を手に入れて、それを維持しようとした。
実は欧州には、世界から資本が集まる仕組みがある。なんといっても現在の近代社会を生み出した国々であり、「不動産を買うとしたらどこか」と考えたら欧州は候補地の一つになるだろう。観光でも欧州に行きたい人はいっぱいいる。欧州の人たちには、「自分たちは世界の中心だ」という慢心があったのだと思う。だからちょっと甘えた生活をしていてもよい、と。
資本もこれまでは欧州に集まったが、マーケットはその甘えを見逃さなかった。「実力相応に戻れ」と言っているのである。