1. 金融そもそも講座

第54回「経済学者の治世」

ともに財政危機でデフォルト(国家破綻)の危機に直面しているギリシャとイタリアが、ルーカス・パパデモス、マリオ・モンティという経済学者を国のトップに選び、国家の再建を託すことになった。大統領の要請もあって選挙を経ずに二人が内閣を組閣するという応急措置だが、これは何を意味するのだろうか。もう政治家は必要ない時代になったのか。マーケットの視点も入れて考えてみたい。

二人の経歴

まず二人の経歴を見ると、とても似ている。ウィキペディアなどを参考にすると、ルーカス・ディミトリオス・パパデモス(Lucas Demetrios Papademos)は1947年アテネ生まれ。マサチューセッツ工科大学に学び1970年に物理学学位、1972年に電気工学修士、1977年に経済学博士を取得した。日本でいえば“留学組”だが、修めた分野の広さには驚く。そのまま米国に残ってコロンビア大学教授として教鞭をとるかたわら、1980年にはボストン連邦準備銀行でシニア・エコノミストを務めた。ギリシャに帰国して1985年にギリシャ銀行入行。チーフ・エコノミストを務めた後に副総裁。そして1994年から同行総裁に就任。その後は2002年から2010年まで欧州中央銀行(ECB)の副総裁を務め、ギリシャのユーロ参加に尽力した。

一方、ベルルスコーニが辞職した後を受けて首相の職責を担うことになったマリオ・モンティ(Mario Monti)は、1943年イタリア王国ロンバルディア州ヴァレーゼに生まれた。ミラノにあるボッコーニ大学で経済と経営の学位を得て、その後イエール大学に移る。後にノーベル経済学賞を受賞する経済学者ジェームズ・トービンの下で大学院研究を終えた。1970年から1985年までトリノ大学にて経済を教え、ボッコーニ大学に移った。そこでは1989年から1994年まで学長を、1994年からは総長を務めている。また、2005年に設立された欧州のシンクタンク「ブリューゲル」の初代議長である彼は、1973年にデイヴィッド・ロックフェラーによって設立されたシンクタンク「日米欧三極委員会」の欧州委員長となり、国際的には二期連続で欧州委員会委員を務めた。

“しがらみ”の多い政治家は不要?

簡単な経歴だが、二人が「経済学者」という以上によく似た経歴を持っていることが分かるだろう。パパデモス氏は米国でも教鞭を執っており、ボストン連銀のシニア・エコノミストとして実務経験もある。一方、モンティ氏も米国でトービン教授の下で理論を学び、その後の研究で独占的な状況下における銀行の振る舞いの詳細な記述を目的とした通称「クライン・モンティ・モデル」を作り出すことに貢献した。

ともに国際経験が豊かである。パパデモス氏は欧州中央銀行の副総裁を務めたし、モンティ氏は欧州委員会の委員を二期連続して務めた。二人とも実務と理論の両方に秀でた国際人なのだ。さらには、ともに大統領の要請を受け入れて首相として組閣をした。それは、国民から選挙で選ばれ、国民の委託を受けているわけではない、ということになる。「統治の正当性」という側面では、ギリシャ、イタリアとも選挙を経た現首相以外の政治家(議員)を国のトップに選べばよいのだが、国民の信頼に堪えうる人は出てこなかった。

なぜ政治家ではダメなのか?今の危機を招いたのが政治家だ、ということだ。日本もそうだが、政治家を選ぶ国内の政治状況はどこでも複雑だ。国家は財布が大きいから、その財布を狙ってくる人も多い。かつ要求はいろいろな方向から来る。だから世界各国で政治家は選挙民の要望を受け入れる努力をする。次の選挙で落ちたくないから、お金のバラマキが横行し、「財政危機」はその結果という面が強い。だとしたら、財政危機の後の政治をまた政治家に任せるのは、同じ間違いの繰り返しになる可能性がある。

ギリシャもイタリアも危機の本質は財政危機だから、くしくも「危機を招いた政治家に次を任せるのはどうか」という判断が国内で働いたのだと思う。リスクを背負いたくない政治家の思惑もあるし、実際に人材も払底していた。国民も“しがらみ”の多い政治家ではなく、経済をよく知っている経済学者、エコノミストに国のかじ取りを任せた方がよいと考えた。両国の大統領(ともに名誉職)は、国民の意向をくんで両人に“首相”を任せたという図式だ。

試練はこれから

これは他の先進国にとっても「政治家不要の時代入り」を意味するのだろうか。世界の政治状況を見ると、国によって違いはあるが、政治家はどちらかというとあまり人気のある職業ではなくなった。その理由は数多くある。スキャンダル、政治資金を巡る疑惑、決断力のなさ、そして政権の長期化。政策決定プロセスの複雑化もある。しかし、人気がなくても確実なのは、彼らを選んだのは一般国民だ、という点だ。だから本当に危機が深刻化して「もう現職の首相ではダメ」となるまで、パパンドレウとベルルスコーニは粘った。彼らには「統治の正当性」があったからだ。しかしそれも疑わしくなって最後の最後に、パパデモス、モンティという経済学者出身の首相が生まれた。

二人がどのような手綱さばきを見せるのかはこれからの話だが、金融市場にとっての意味合いという点では、「今の欧州危機、財政を巡る危機が国を問わず既成の政治家では対処しきれないほど複雑だ」ということだ。何よりもそのことを端的に示しているのが、前任の二人の政治家が、両国でも最も政治家らしい政治家だったことである。ギリシャのパパンドレウ前首相は、祖父も父親も首相だったという政治家一家に生まれている。ベルルスコーニ前首相は数々の危機を乗り越えてきたイタリアを代表する政治家だ。今回の危機はその二人を首相の座から追いやったのだ。

もしかしたらこれは「民主主義社会での政治家の限界」を示す兆候かもしれない。政治家は選挙民の意向をくまなければならない。どうしてもすべての人を満足させようとしたら、お金が出ていく。その結果としての財政危機。この問題はこのコーナーでは何回も取り上げている。

政治のシステムとしては、国民が選んだ政治家が政治を行うのが望ましい。しかしそうはいかなくなった現実。今は国民の支持が高い二人の“エコノミスト”首相だが、あまりの緊縮措置に国民が「NO」を突きつけたらどうなるのか。その答えを待っているのは国民であり、マーケットだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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