1. 金融そもそも講座

第68回「では“危機”とは何か? PART2」フラッシュ・クラッシュ / 残る懸念

前回「投資とは流動性のあるものを買ったり売ったりすることだ。マーケットにとっての真の危機とは、この流動性が失われることだ」と書いた。今回はそれをもう少し掘り下げていきたいと思う。というのは、今のマーケットにはあってはならない“危機”がかなり危険な形で潜んでいるからだ。

フラッシュ・クラッシュ

皆さんは「フラッシュ・クラッシュ(Flash crash)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。翻訳すれば「瞬間暴落」だ。今から2年前の2010年5月6日のニューヨーク市場。わずか数分の間にダウ平均で見て1500ドル近くスイングし、同指数が一番安いところで前日比1000ドル近く下落した。急落し始めたのは午後2時40分。わずか数分の間に起きて出来高は190億株に達した。

重要なのは、それほどマーケットを大きく動かすニュースがあったわけではないという点だ。“謎”の暴落劇だった。当初、誤発注など様々な原因が指摘されたが、ある調査報告書では「複数の要因が重なったためであり、未だ明らかではない」とされている。

とにかくその時の衝撃は大きかった。世界の市場はつながっている。ニューヨークの株価が下落すれば、投資家の多くは利益を出している他の市場でカバー(利益確定)を行おうとする。株価と為替も連動している面があるから、ニューヨークでの理由の分からない下落を受けて世界中の投資家は「リスクを減らす」方向に動いた。何が起きているのか分からないから、当然だ。

日本にフラッシュ・クラッシュが与えた影響は為替が大きかった。日本の投資家は安い円金利と高い海外諸国金利を背景に「円安」にかけていた。つまりリスクテークしていたのである。しかしニューヨークの株価急落を受けて怒濤(どとう)の円買いが起きた。リスクを減らすとなれば円を買う。繰り返すが日本の多くの投資家は低い円金利と高い海外金利(例えばオーストラリアやニュージーランド)の差を取るために円ショート・他通貨ロングにしていたから、この一斉の円買いの動きの中でポジションはあっという間に悪化した。通常個人の為替取引には一定レベルで損失を確定し、それ以上のポジションの悪化を防ぐ仕掛けがある。「ロスカット・ルール」だ。世界中の円ショート・他通貨ロングの投資家のポジションは強制終了され、膨大な損失が確定した。

それがわずか数分間の間に起きたのである。「flash」の意味のとおり、まさに瞬きする間に世界中の投資家に膨大な損失をもたらしたのだ。その中には日本人の投資家が数多く含まれた。ウォール・ストリート・ジャーナルから、「ミセス・ワタナベ」と表現されたような小口のFX投資家も含まれた。

不明な理由

問題は一体何が原因でそのような暴力的な市場環境が生まれたかである。たった数分間での度を超したマーケットのスイングは“暴力的”といえるだろう。さらにニューヨーク時間の午後2時40分といえば、日本ではまだ早朝で多くの人は寝ている。その間に自分のポジションに大きな穴が空き、場合によっては投資勘定のクローズまで迫られた。私の友人もこの理不尽な市場の動きにより、2000万円以上の損失を出した。

フラッシュ・クラッシュの大きな特徴は、それから時間をおかずして相場がほとんど戻ったことだった。一時は銘柄によってはゼロに近づいていた株価は、その後は急速にクラッシュが起きる前の水準に戻った。それこそ「狐につままれる」といった状況だが、多くの投資家はこの乱暴な値動きによって膨大な損失を被ったのである。米国の投資家もそうだった。

なぜそういうことが起きたのかニューヨーク証券取引所(NYSE)も米証券取引委員会(SEC)も懸命に原因を探した。米国でも大きな批判の対象になったからだ。全体的な状況としては、米国の証券取引所ではコンピューターを駆使した取引の高速化と分散化が進んでいる。NYSEでもナスダックでも、上場株の取引分散化は進んでおり、注文は最大50カ所に分散されて電子取引される。一カ所の取引所に大量注文するよりも高速でできるからだ。取引所の分散による大量注文、高速取引、アルゴリズム取引などが全盛だった。

この問題に関しては、同年の秋までに何回もリポートが出ている。民間のものもあるし、公的機関のものもある。しかし重要なのはどのリポートも、「この原因で起こった」と特定できていないことだ。高速取引(ハイ・フリークエンシー・トレーディング)と呼ばれるシステムで高速かつ大量の取引を行うトレーダーやヘッジファンドといった参加者の一部が、ボラティリティの高まりを嫌い売買停止したことで、市場の流動性が急速に失われたのではないかという指摘もなされている。

「誤注文」だとか「コンピューターの故障」というのなら、それをなくせばなくなるわけだから理解できる。しかしそうではない。あるリポートは問題を起こしたのは「大口注文を扱うトレーダーによる一つの注文だ」と指摘した。そのトレーダーがオーダーを出すときに全ボリュームに対する自分の注文の執行限度を9%としただけで、価格に対する縛りをしなかったから“ホット・ポテト現象”が起きたというのだ。

“ホット・ポテト(hot-potato)現象”とは、熱いポテトを投げられた人は、それが熱くて持っていられず次の人にまた投げる現象を指す。投げられた人もまた熱いから次の人に投げる。この場合は売りの連鎖が起きたと。しかしこのリポートも確定的ではない。

残る懸念

「マーケットにとっての真の“危機”とは、流動性が失われることだ」という原点に改めて立ち返れば、一般投資家が注文を出せないほどの早さで相場が動くことは、「流動性の欠如」といえる。「売りたいときに売れて、買いたいときに買える」の原則に反しているからだ。フラッシュ・クラッシュは世界中の投資家の市場に対する信頼を失う大きなきっかけとなった。まだその傷は癒えていない。

そういう意味では、東京証券取引所でもたまに発生する「コンピューターの不具合による取引停止(一部銘柄にせよ、市場全体にせよ)」は、その間、投資家が何もできないわけだから「真の危機」というにふさわしい。所定の時間帯は常に開いている、そして常に相場が立っていることが市場にとっては非常に重要なことなのだ。

あらゆるところでコンピューターが取引に導入されてとても便利になったし、もうコンピューターなしでは取引ができない時代だ。しかし、フラッシュ・クラッシュの大きな背景となったコンピューターの高速化、アルゴリズム取引はまだ完全に制御されていないのだ。その“制御”は今後の大きな課題だし、それができなければ投資家の信頼は戻らないように思う。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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