1. 金融そもそも講座

第89回「中進国のわな」

東京やニューヨークなど世界中の株式市場が大きく上値を追う中で、株価がこの一年ほとんど上がっていないことでむしろ目立つ市場がある。それは中国の株式市場だ。「新しい世界経済の成長エンジン」とまで見られていた国の市場が一体どうしたのか。中国と日本は尖閣諸島を巡って厳しい対立の中にありその関連ニュースは多いが、本コーナーでは中国の市場低迷の背景となっている同国経済がどうなっているのかを見ておこうと思う。

“中進国のわな”とは?

中国を代表する株価指数といえば「上海総合」だが、この指数の今から一年前の水準を見ると2400の近辺にあった。それが現在は2200前後である。多少のアップダウンはあったものの、基本的には低迷を続けていて、大きな上昇の兆しは見せていない。対してニューヨークの株価はダウ工業株30種、SP500などの代表的指数は軒並み史上最高値を更新中であり、基本的には強い上げ基調にある。日経平均株価を見ると、今から一年前は9000円を割るくらいだった。それが今は14000円台(5月中旬現在)だから、中国株の低迷は目立つ。あの経済危機の欧州でも株価は上げ基調なのに、どうしたことだろう。

経済学の用語に「中進国のわな」という言葉がある。最近よく使われるので、どこかで見たり聞いたりした人も多いだろう。これは国民一人当たりGDP(国民総生産)が1万ドル(今だと約100万円)に接近する「中進国」となった頃から、「発展途上国」の追い上げによって輸出品が競争力を失う一方、「先進国」と競争するには技術力などが十分でないため、結果として成長が停滞してしまう現象のことを指す。中国の場合、「発展途上国」とはミャンマーやバングラデシュやインドなど、「先進国」とは日本や米国だ。

そう考えると、確かに今の中国は国民一人当たりのGDPは7000ドル弱であり、ちょうど「中進国のわな」にはまりつつあるように思う。中国の労働賃金は急速に上昇しつつあり、地域で違いはあるが数年前の二倍、三倍にあたる月3万円ほどになっているケースもあるという。筆者が今年(2013年)初めに訪れたミャンマーの労働者の月平均賃金は8000円だから、中国が今まで得意としていた単純作業の工場などは確実に中国から出て行く。といって中国にはブランド品を作るだけの先進技術はない。

成長率の低下

中国の成長率はこの「中進国のわな」入りの状況を象徴するかのように、一時の二桁という高い水準から低下してきている。今年1~3月の成長率は7.7%だった。この数字そのものは成長率がゼロに近い日本や米国に比べれば、ましてマイナス成長になっている欧州に比べれば夢のような成長率である。中国は過去から見れば成長鈍化に直面しているとはいえ、まだ成長力の強い国なのである。ところがおかしいことに、ゼロに近い日米やマイナス成長に甘んじている欧州の株が上げているのに、中国の上海市場の株価は低迷している。もし株価が「現在の経済の成長パワー」を反映するものだったら、中国の株こそ上げてしかるべきだ。

しかし実はそれが違うのだ。株価は「将来価値、将来に対する展望」を反映する。今は低迷しているが、中央銀行や政府、それに何よりも企業や個人の努力によって経済が今後良くなるという期待があるから日本や欧米の株価は上げているといえる。逆に言えば、中国にも「今後の展望」があれば、上海の株価は上値を追えるはずである。ところが上げに転じることができない。それは「中進国のわな」から中国が抜けられない、抜けるだけの展望を持てないとマーケットが見ているからだと理解できる。

結局は信頼感の欠如

では何がネックになっているのか。筆者は結局のところ、共産党の独裁が続く中で中国経済がうまく「わな」をすり抜けて、マーケットが納得できるような国になることが当面は期待できない、という見方の反映だと思っている。

単純作業中心の製造業が海外に出て行くのなら、中国には高度な製造業が育たなければならないが、その技術はまだ中国にはない。それなのに技術を持つ日本とは角を突き合わせている。サイバーテロを巡っては、米国ともそうだ。次の産業を用意できなければ、中国では失業問題が深刻化することになる。工場が出て行ってしまうからだ。不振になってきた製造業の代わりに、中国経済をけん引する国民の消費を押し上げようとしても、格差問題、年金制度の不整備、戸籍問題などが国民全員参加型の消費の伸びを難しくしている。中国は今でもGDPに占める消費の割合は4割に満たない。米国の7割、日本の6割に比べて少ない。

ということは投資(政府、海外企業などの)が不活発になり、輸出で稼げなくなれば直ちに中国経済の成長力は弱まるということだ。その兆しがあるのに、政権は抜本的な経済改革、その前提となる政治改革には及び腰だ。加えて、官の汚職が横行し、民衆の反発は強く、環境問題は深刻化し、各種の経済統計も操作されているのではないかとの疑惑が強く残る。企業の決算報告の数字にまで疑念がつく始末だ。これだけ“疑惑”が多い中では、「中国の株式市場には安心して資金を投じられない」というのが投資家の心理だろう。

これらの問題の解決は相当に難しい。つまり、世界的な株価の上昇の中で、中国はしばらく世界の市場の後じんを拝することになるだろう。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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