1. 金融そもそも講座

第114回「“中間省略のツケ”に直面する中進国」

“中進国”といわれる国々で、最近目や耳を疑うような出来事や事故が相次いで起きている。民主主義が根付いたと思われたタイでは再び軍がクーデターを起こすまでの政治状況になったし、韓国やトルコでは「先進国ではあり得ない」と彼ら自身が言うような大きな事故が起きた。一方、サッカーのワールドカップが始まるブラジルでは多くの都市で警察官の組合が時限ストに突入し、「ワールドカップの最中でのスト予告」もしている。これをチャンスとばかりに賃金の大幅アップを狙っているのだ。少し前まで世界経済の未来を担うと考えられていた中進国で、いったい何が起きているのか。

一直線には……

中進国の経済発展が一直線にはいかない、というのはかねてからいわれてきた。この「そもそも講座」でも、「中進国の罠(わな)」の問題は取り上げたことがある。「国民一人当たりGDP(国民総生産)が1万ドル(今だと約100万円)に接近する『中進国』となった頃から、『発展途上国』の追い上げによって輸出品が競争力を失う一方、『先進国』と競争するには技術力などが十分でないため、結果として成長が停滞してしまう」と説明した。余談だが、もしかしたら今の中国(GDPが1万ドルに接近している)はその入り口に立っているのだろう。

しかし最近筆者が思うのは、この経済的な意味での中進国の罠とは別に中進国の社会的・政治的な“壁”とも呼ぶべきものが存在し、それが政治的な行き詰まりや社会の規律喪失による大きな事故、そして国際的な信用を失いかねない治安上の不安を呼んでいるのではないかということだ。今年(2014年)は年初から「再び先進国の年」との見方が投資の世界にはあったが、中国やロシアの経済鈍化を含めて、世界の途上国や中進国が抱えている問題は根深い。

今のミャンマーがそうかもしれないが、どの国でも経済的発展のスタート時においてはとても順調だ。今の世界では資本や技術の流通は比較的自由で、「その国が発展する」と皆が思った段階でそれらが一気に当該国に流入する。資本の流入でお金の流れは活発になり、工場ができて雇用が生まれ、給与所得者が生まれ、ローンシステムができて家を買う人が増え、やがて消費社会になって成長が加速する。そして輸出も増えて、その国の国際的ステータスも上昇する。なにせスタート台が低いのだから。

しかし重要なのは、これら過去10年間に成長著しかった国々は先進国が長い時間をかけて経てきた社会的・政治的・経済的プロセスを一部「中間省略」しており、それだからこそ急成長できたと考えられることだ。

中間省略と高成長

今の世界を見ると日本や米国、それに欧州などに多い先進国は、以下のようなことを時間をかけて整備してきた。

  • ・社会の民主化、国民の“実質的”な政治的平等
  • ・貧富の格差をコントロールする社会保障制度の充実
  • ・賄賂や縁故によって曲げられない法治の徹底
  • ・国民全体の教育レベルの向上
  • ・インフラのバランス良き充実

それこそ社会や政治が多少前後左右に揺れても、安全・安心が保たれることによって「社会と政治の安定」が一定の範囲で維持できている。それによって経済はあまり高い成長率でなくとも着実に伸び、国民全体の福祉が保たれるという仕組みになっている。

しかし、成長を急いだ国は総じてこうした要件のいくつかを欠落させている。例えば、ともに300人近い方が亡くなった韓国での旅客船沈没事故とトルコでの炭鉱事故では、「法律や規則で決まっていたことがきっちりと守られていなかった」ことが大きな原因であると明らかになっている。両国でかなりの数の逮捕者が出た。その原因が賄賂なのか、天下りなのか、はたまた縁故なのかどうかまだ分からないが、法律や規則よりもそれらが優先されていたことが大きな問題だと筆者は思う。社会全体の空気やシステムがそうなっていたことが問題の根深さをうかがわせる。

そのツケ

例えば、先進国以外では世界で結構な数に上る「賄賂がはびこる社会」を考えてみよう。担当する官庁の役人などに与える「賄賂」によってそもそも事業の総コストは上昇してしまっているはずで、請負業者はその分かそれ以上を実際の事業費(例えばビルの建設費)から引こうとする。その結果として生じるのは「手抜き工事」だ。部材や工法の手抜きがなければ、平壌の23階建てのビルのような倒壊は起こらないはずだ。

日米欧と違い、「賄賂がはびこる社会、縁故で何事も決まる社会」ではそれらが前に出る。つまりそれによって何事も決まる分だけ「法律・規律・規範・倫理」の持つ意味合いが著しく低下することになる。重要なのは、大きな事故はインフラなどがある程度発展した段階から起きる可能性が高いということだ。なぜなら大勢の人を収容するインフラ(ビルや船、地下鉄など)は、ある程度発展した国の副産物だからだ。

橋が落ちたり、船舶の過積載が日常化していたり、建設中のビルが倒壊したり、300人もが亡くなる炭鉱事故が起きたり……、先進国では普通考えられない。「法律・規律・規範・倫理」がまず前にあり、その分ルールがはっきりしているからだ。先進国では賄賂などは少額でも厳しく罰せられる。

再び軍が出てきたタイの政情不安は、ある意味で「繁栄するが少数の選挙民しか持たない都市」と「貧しいが多数の選挙民を抱える農村」の抜き差しならぬ対立ともいえる。しかし日本のように「地方の田舎の家ほど車を複数台持っている」というような、ある意味「豊かさを共有してきた社会」では、もちろん「軍が出てくる」までに政治情勢は悪化しないし、行き詰まらない。それは大部分の先進国もそうだ。

ワールドカップを控えたブラジルの警察官のストも、一種の貧富の格差、経済社会のゆがみの反映かもしれない。国家の大事業を控えて「警察官が給与の8割アップを求めてストを計画」とは日本ではもちろん、他の先進国でも想像を絶する。世論がそんなことを許すはずがない。

資本と技術と労働力があれば経済はかなりの程度まで発展する。しかし経済は社会的・政治的安定がなければ成長を続けられない。経済的にも社会的・政治的にも“壁”がある。今、世界ではかなり多くの中進国が「中間省略のツケ」に悩まされていると思う。世界経済を見る場合、これは一つの重要な視点だろう。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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