1. 金融そもそも講座

第51回「米国が抱えた問題 PART2」

前回は、「雇用」「成長率の鈍化」「政治の混迷」の三つの視点から「米国が抱えた問題」を考えた。今回はそれをもう少し深めてみたい。まずは、米国の資本主義のメッカであるウォール街の周辺で展開している新しい一つのムーブメントと、それに絡む「哲学論争」について。

ウォール街を占拠?

日本での報道も徐々に増えてきたが、米国の資本主義の総本山であり金融市場の中心であるウォール街とその周辺で、過去にはあまりなかった種類の集会とデモが続いている。「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠)」と名付けられたこの運動は、10月初めの週末には全米から集まった若者中心のグループがマンハッタン島南部のブルックリン・ブリッジ(マンハッタンにかかる橋の中で最もきれいだといわれる)を占拠した。この結果交通が妨げられたために警察が出動し、一部報道によれば700人もの逮捕者を出した。大部分がすぐに釈放されたものの、釈放された若者はまたデモに参加したという。

実はこのデモは9月中旬から続いている。ウォール街近くの公園に根城を置き、1日の決まった時間にウォール街を中心に比較的静かなデモを繰り広げている。主張は以下のように多様だ。

「政府や金融界、それを支配する人々に抗議する」
「富の偏在は許さない」
「貧富の格差縮小を」
「1%の人間が米国の富の99%を握っている」
「我々は99%だ」
「失業率を下げろ」

この運動を代表していると思われるサイト「http://occupywallst.org/」を見ても、「多くの人種、性、そして政治的主張を持つ人々が集まる、指導者なき抵抗運動です。我々全員に唯一共通なのは、1%の強欲と腐敗に我慢できなくなった99%だということです。我々は目的を達成するためにアラブの春戦術を採用しており、すべての参加者の安全が最大限守られるように非暴力を推奨します」となっているだけで、何を目指しているのかは不明だ。しかし、この運動は全米に広がりつつあり、ノーベル経済学賞受賞のスティグリッツ教授、投資家ジョージ・ソロス、オノ・ヨーコ、映画監督のマイケル・ムーアなど、多彩な賛同者、支援者が出現している。

格差是正を要求

多様な主張の中で共通しているのは、「米国の富と権力を1%の人間が握っている。我々は残りの99%だ。この状態は変えなければならない」という「格差拡大の是正」を求める声だ。「ではどうするのか?」に関しては明確な絵図を描いていない。

次に、世界の他の国々の若者と同様に「我々に職を」という主張だ。この中には、「大企業が米国の若者から職を奪っている」という判断がある。「大企業の巣窟=ウォール街」という見方から、リーマン・ショックによる不況入りなどを背景に「ウォール街のトップたちが米国経済を弄んでいる!」となり、ウォール街を占拠して、今の体制の形を変えようという動きとなっている。

今の米国には、同じく民衆レベルの運動で「ティー・パーティー(茶会党)」がある。これは、2009年から始まった保守派のポピュリスト運動で、オバマ政権の自動車産業や金融機関への救済措置に反対し、さらには景気刺激策や医療保険法改正に見られる“大きな政府”路線に対する抗議を中心とするものだ。この運動には“指導者”といえる人がいて、積極的に今の米国の政治システムへの関与(上下両院選挙での候補者推薦など)を行っている。

しかし「Occupy Wall Street」は“指導者なき”抗議運動であることを公言していて、実際に指導者といえる人はいない。主義主張は「Occupy Wall Street」の側に明確さを欠く点が多々あるものの、「レッセフェール(なすに任せよ)」に近く“小さい政府”を主張するティー・パーティーとは違う方向を向いていることは明らかだ。ティー・パーティーが個人重視であるのに対して、「Occupy Wall Street」は「失業をなくせ」など社会の責任を重視する。

つまり、米国では前回指摘したように議会もFRBの中でも「哲学論争」が繰り広げられているのに加えて、市民運動でも同じような「哲学論争」が展開されつつあるということだ。ティー・パーティーが米国の原点帰りによる「政府の役割の縮小→個人の権利拡張」を主張するのに対し、「Occupy Wall Street」は格差拡大など今の制度の矛盾点を突き、その是正を求める。

異なる方向性

筆者が興味深いと思うのは、「努力すれば成功する」という“アメリカン・ドリーム”を「Occupy Wall Street」が捨てていると思える点だ。筆者にとって、米国はある意味不思議の国だった。貧富の格差拡大など社会における矛盾の拡大は明らかなのに、「努力すればいつか成功する」という夢を国民一人一人がずっと持ち続けているように見えた。実際にこの国からいくつかの成功物語は出たが、それは限られた少数者の成功だった。にもかかわらず、繰り返し語られたアメリカン・ドリーム――。

それは建国の原点に背景があるのかもしれない。ピューリタンたちが本国の抑圧を逃れて自由な国を作った。領土も国力も一貫して拡大してきた。「努力すれば報われる」は当然の理想だったし、また現実だったので、それが国の基本的な考え方になった。だからこそ、「政府は小さい方がよい」というティー・パーティーのような考え方は、米国の歴史を通じて何回も勢いを増した。

しかし「Occupy Wall Street」運動は、その前提が既に「富と権力は集中しすぎた」「分散しろ」という方向性を持っていて、個人の努力の成果を所与のものとしていない。これは従来の考え方とは大きく食い違っている。かつ指導者を持たない、既存の政治プロセスにも参加しない、という側面を持つ。だから、反ウォール街、反大企業、反政府の傾向を持つこの運動が、時間の経過の中で潰されると見ることも可能だ。

この“直接民主主義的”な運動は、「アラブの春」などと呼応しているようにも見える。本元のHPにも「アラブの春戦術を採用」とある。米国社会が見せ始めた新しい一つの側面という捉え方をしておく必要はありそうだ。無視することは危険だ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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