1. 金融そもそも講座

第39回「緊急時の経済政策、重要なのはスピード」

「そもそも講座」の“そもそも”の視点に立ち戻って、今回は緊急時の対応を含めて「経済政策で何が必要か」を考えてみたいと思う。というのも、東日本大震災への経済対策は、今の政府のやり方では「時間がかかり過ぎる」「効果が低減してしまう」と思うからである。

素早く、予想外に

端的に言おう。通常時でもそうだが、特に緊急時において経済政策が有効であり効果を発揮するためには、「タイミングを失することなく素早く」「やや意表を突く予想外の」という二つの要因を満たさなければならない。ずっと日本を含めて各国の政策を見ていてそう思う。ところが今の日本では、震災国債か、時限増税か、それとも現行政策の見直しか……という議論ばかりが続く。そうしているうちに国民の間に「ちっとも進まないな」という印象が残り、この二つの条件がどんどん失われていってしまっている気がする。

なぜ「タイミングを失することなく素早く」なのか。それは、経済活動にも人間の心理が大きく影響するからである。「今日は気分が良いから買い物をしよう」とか「気分が悪いので何もする気がしない」など、人間の行動は“気”の影響が大きい。そもそも世の中の経済状態は「景気」と書くのだ。

同様に経済政策でも「(考えていなかったが)これはいい」「これなら賛成できる」とその瞬間に国民が納得できるものがよい、ということになる。その段階で、人々の気持ちがアップして心や思考が活性化するからだ。経済は人々の活動によって成り立っている。そもそも「動く気」にならなければ、経済活動は活発化しない。「動く」は消費でも、投資でもよい。そういう意味では、発表された段階で、人々をワクワクさせ「参加したい」と思わせる政策が良い政策の一つの条件ということになる。

いろいろと文句をつけられ、また批判を受けた政策というのは、それだけで人々の動く気持ちを削いでしまうということだ。議論されている間、いろいろと報道されているうちに意外性が無くなり、新鮮味も失われ、「参加しよう」という気分も失せてしまう。民主主義国家の中では、米国は比較的政策作りがうまい。危機の折には政府、国民が一体となり、政府も素早く行動するので、政策にスピード感がある。

遅い決定は逆効果

この原稿は4月の第二週に書いているが、地震対応に関しては筆者が前回取り上げた「震災国債」「時限増税」を含めて議論が始まったばかりである。事態が複雑であり、東京電力の福島第一原子力発電所の事故、計画停電もあり、やむを得ない面もある。しかし、経済を見ている人間からすると、対策の話が出てから時間が経つのは政策の実効性が失われてしまうと思う。議論ばかりが先行しているし、意志決定にスピード感が見られない。

「予想外」というのは、最初の条件と密接に関係している。落語や漫才などの笑いを考えてみると、ほとんどが予想外の展開、話の中から生まれてくる。(話でも何でも)予想外の展開というのは、聞く人にとっては意表を突かれるということであるから、ある意味“スピード感”がある。理想を言えば、政策は国民や企業家にとって、「そういう手もあったか」「そこまでやるのか」と思わせる方がよい。なぜなら、その「意外感」が個人や企業の経済活動を活発化させるからである。

むろん民主主義を政治体制とする国では、何をするにも議論が必要だ。当然、日本もそうだ。これは避けられない。しかしあまり議論が長引き、マスコミで「ああだこうだ」と分析されると、政策というのはその有効性を減らしてしまう。日本の過去の「景気刺激策」は、回を重ねるごとに実施に移される前にあれこれ議論の対象になり、報道され、批判されて、結局効果を減じてきた。自民党政権下の「景気刺激策」が株価に与えた影響を見ると、回を追うごとに株価の反応は低下しているのである。財政出動の規模は、しばしば後の方が大きいのに。

人々の心を活性化

スピード感があって、人々の気持ちを奮い立たせる政策だったら、株式市場もそれに反応して株価は上がる。株価が上がれば、世の中の景況感も良くなって、また消費などの経済活動が活発化する。無論、中味(財政出動の規模、規制緩和の種類、新しいアイデアなどなど)は重要だが、かように経済政策というのは発表のタイミング(素早いという意味で)、それに人々が意外感を持つことも必要なのである。

リーマン・ブラザーズの倒産に端を発した世界的な危機の中で、「タイミングと政策の規模」で抜群だったと高く評価されているのは、中国の政策である。危機から一カ月も経たないうちに、「4兆元」という大きな規模の景気刺激策が発表された。この結果、中国の景気は世界各国に先立って良くなった。今はインフレ圧力にさらされているが、その素早さは世界から称賛された。

なぜ中国は素早く動けたのか。それは一つには、民主主義の政治ではなく、中国共産党の一党独裁だからである。胡錦濤主席と温家宝首相など、何人かの指導者の間で合意があれば、すぐに政策を決め、発動することができる。これは民主主義国家ではなかなかまねのできないことで、それが如実に示された。無論ここにはリスクもある。スピード感溢れた発表になっても、その政策が間違っていればどうしようもない。経済にはマイナスだ。

民主主義の国には、「議論を経る」「その間に国民的合意を得る」ということが必要なシステムがある。これにはメリットもあるが、一方で意志決定に時間がかかってしまうという問題点もある。重要なのは、危機に際しては政策決定に要する時間、合意を得る時間をなるべく短くすることである。

日本や米国は一党独裁に政治システムを移行させるわけにはいかないのだから、政治の意志決定を素早く、様々な知恵を集めて、良い政策ができるようにならなければならない。今までの実績を見ると、日本より米国の方がそれができていた。日本ではそれがなかなか難しいのである。ここに日本の政治の問題点がある。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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