1. 金融そもそも講座

第79回「政治とマーケット」

シルクロードへの旅で得たアイデアから「大陸的な世界と日本の違い」を5回のシリーズで展開している間に、もうまもなく2012年が終わろうとしている。長年マーケットを見ている筆者には、今年はとても特徴的な一年だったように思える。それは「政治とマーケット」が非常に深くお互いに作用し合った年だったということだ。過去30年ほどを思い出してもあまり例がなかったように思う。そしてそれは来年も続くような気がする。

政治がマーケット要因に

各国の状況を見てみよう。例えば日本は、12月16日に衆議院選挙がある。選挙突入のプロセスで出てきた日銀の金融政策を巡る議論によって、株や為替などのマーケットは大きく動いた。具体的には、次期政権の中心となるのではないかとマーケットが推測した自民党・安倍総裁の以下のような方針によるものだ。

  • ・2~3%の物価上昇を目指してデフレ脱却を図る
  • ・日銀への政府意思の一段の徹底を図る
  • ・積極的な財政出動を含めた景気刺激策

それまでのマーケットの状況(商いが少なく長期間動きがない株価、円高含みでの為替相場膠着など)を「円安・日本株高」の方向に大きく変えた。

一方、米国では「財政の崖」を巡るホワイトハウスと議会共和党の話し合いの一進一退が、マーケットの動きを左右している。「財政の崖」とは、2013年年からブッシュ減税などの減税措置が切れて実質的増税となると同時に、法律で決められている強制的な歳出削減によって景気がダブルパンチを受け、崖から落下するような落ち込みが予想されることを指す。筆者がこの原稿を書いている12月上旬現在、これをどうやって乗り切るかに関して、ホワイトハウスと議会共和党(下院の多数を支配)の話し合いは大きく進展したとはいえない。

欧州では、「ギリシャをいかに支援するか」に関するEU財務相などの話し合いの進展具合がマーケット(株、為替など)を大きく左右している。前進すればユーロが上がり、欧州の株も上がるという具合だ。逆もあり、表面的には先進各国で政治がマーケットを大きく左右しているように見える。

一方でマーケットに左右され…

ここまでの経緯からは、「政治がマーケットに右往左往させられている」と見ることもできる。欧州がその良い例だ。そもそもギリシャやスペインが財政赤字を対GDPで一定の範囲内に収めなければならないという義務感に駆られ、EUもその動きを資金拠出で支援しているのはなぜか。そうしなければ当該国の国債相場が大きく下がり、市場からの資金調達(国債発行)が難しくなる状況に置かれるからだ。そうなれば政治的ユニオンの性格を持つEUは機能せず、欧州全体にとっての機能不全となる。そういう意味では、欧州の財政赤字状況の悪い国は「マーケットの捕虜」になっているともいえる。

米国の「財政の崖」を考えてみても、議会が2013年からの大幅な歳出削減を決めたのは、今後の米国の財政赤字状況の一段の悪化を避けなければ、米国の財政に対する市場の信頼が崩れると考えたからだ。日本も大きな財政の制約があるため、自民党・安倍総裁のように「日銀の金融政策に頼ろう」という考えが出てくるきっかけになった。

つまり今は「政治がマーケットの虜になっている」という見方もできる。それはひとえに、先進国の経済成長力が落ち、政治が国民によい顔をするために行ってきた大盤振る舞いのツケ(巨額の財政赤字)を払わなければならない時期にさしかかっているからだ。経済が成長を続けている間は、マーケットが政治に警告することは少なかったし、政治も良い状態のマーケットに干渉することは特別なケース(プラザ合意など)だけだった。

しかし今、お互いがハッピーだった時期は終わったということだ。

最後はどちらが強いか?

状況は来年も同じだ。つまり世界経済の成長力は途上国を含めて低下し、歳入不足という財政のボトルネック(先進国の赤字体質)という状況は変わらず、マーケットはこれに警告を続けるだろう。マーケットはこの状況を「政治はどう切り抜けるか」という視点で見続けると思う。政治とマーケットは「相互作用」の状況を続ける。

しかし「相互作用」だけで、つまり五分五分の関係だけで推移するのだろうか。筆者は、違うと思う。それをマーケットに参入する人は知らなければならないとも思う。一部の人は今の状況から「マーケットの方が強い」という意見を述べるかもしれない。しかし筆者は、「究極は政治の方が強い」と考えている。その理由を以下に挙げる。

  • 1. マーケットと呼べるものが登場したのは、人類の長い歴史の中でもごく最近である。株式市場でさえ200年の歴史はなく、国債の市場もその後の成立である。為替に至っては今のような変動相場制が一般的になったのは1973年で、実質40年しかたっていない
  • 2. マーケットに参加しているのは常に人口の一部だけで、基本的には“全員参加”の政治は簡単にそれをゆがめることができる。ベルリンの壁が崩壊する前は当時の全人類の四分の一ほどが市場経済に参加していただけで、ソ連、中国を含めて大部分の人類はマーケットのない「社会主義計画経済」の中にいた
  • 3. 政治はマスの政治意思の発露であり、集団意思としてマーケットをゆがめ、時には機能不全を強いることもできる

無論これは直ちにそんな時代が来るということではない。しかし人類の歴史が「予想外な展開」に満ちていることもまた確かなのだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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