「人口減少への視点」を連載している間に、現実のマーケットが新たな局面に入ろうとしている。一旦、小休止して現実のマーケットで起きている事も見ておこうと思う。マーケットを見る人間は、長いスパンの視点と、「今、何が起きているのか」の短期的な視点の両方を常に必要とするからだ。
瀬踏みの状態に
まず日本のマーケットは、昨年(2012年)暮れから今年5月22日までの上昇相場を経た後、「アベノミクスの瀬踏み・もみあい相場」に入ったようだ。むろんその間に大きなダウン、そしてやや持続的なアップの時期があるが、筆者が第91回「マーケットとは“波”である」で書いたとおり、長い視点で見ると“上がったり下がったり”の展開を続けている。つまり方向性を失った状態になった。
なぜそれまでの半年のように上げ続けることができないかというと、“アベノミクス”という強力な刺激材料はあるものの、マーケットが日本経済、日本企業の先行きにまだ疑念を残していて、それを払拭できないからである。一つは「アベノミクスの本当の政策効果が最後はどのような形で出るのか」について確信が持てないこと。確かに金融緩和の効果は浸透した。これが全国百貨店の売上高を7.2%(6月)も押し上げる効果を出している。その背景は株高などの好影響による時計など高額品の売れ行き増加である。しかしそれが日本企業全般の業績改善、工場稼働率の上昇、そして働く人の所得増加、雇用の増加、さらに消費への全般的な波及効果といった好循環になるかどうかまだ分からない、という側面がある。
その答えが出る前にも、日本のマーケットには関門がいくつもある。2020年、オリンピックが日本に本当に来るのか(9月初めに決まる。招致成功となればマーケットにはプラス効果だ)、来春に予定されている消費税の引き上げは予定通り行うのか(決断は今年の秋だといわれている)などだ。加えて、減速が顕著な中国経済の先行きに対する市場の懸念も強い。中国の習近平政権は、今までほど景気刺激に寛容ではない。これらの懸念は直ちに日本の株式市場のレベルを大きく下げる要因にはなっていないが、5月までの上げを振り返り、「もう一度考え直す」という局面入りの要因となっている。折しも今は夏枯れが生じる時期である。
強い米国の市場
一方、リーマン・ショック後の2009年初め以来の強気相場を続けている米国のマーケットは、ダウ工業株30種平均などの株価指数で見ると依然として強さを保っている。同指数はつい8月初めに史上最高値を更新したばかりだ。アベノミクスの第一の矢、すなわち非伝統的な金融政策(QE3と呼ばれる量的金融緩和)が同じようにあるにしても、米国経済は直近の成長率では日本の年率4.1%を大きく下回っている。にもかかわらず「株価の持続的上昇」である。
これは今の米国のマーケットが絶妙のバランスに乗れているからだと思う。言ってみれば「Goldilocks economy(ゴルディロックス・エコノミー)」である。それは、インフレが高まるほど熱すぎず、失業率が上昇するほど冷えすぎずという、“理想的な経済”を指す。金融政策もその絶妙なバランスを崩さないよう、市場に配慮した運営が行われている。つまり、基本的には「金融相場」の色彩が強いが、一方ではインフレを懸念する必要がないなかで、住宅市場の改善や米企業の競争力向上を反映して、個々の企業の株価が上値を追っているという形だ。米国企業はその多くが、日本企業よりもグローバリゼーションにうまく乗っている。
「バランス具合」を表現するFRB(連邦準備制度理事会)の言葉にも若干の変化が見られる。7月末に行われたFOMC(連邦公開市場委員会)では、景気の拡大ペースについて従来の「moderate」という表現をやめて、「modest」という単語を使った。この二つの単語には、微妙だが大きな勢いの差がある。当然ながら後者が弱い。FRBの声明は全体として「景気と低インフレの先行きに若干懸念を強めている」と思える内容だった。低インフレについてFOMCは、「2%の目標をずっと下回っている低インフレは、米国経済にとってのリスクになりうる」と表現してみせた。しかし日本にある「デフレ懸念」はまだない。
どのくらい続く?
「リーマン・ショック後の米国経済には不安要素が多い」とよく表現される。しかしこの間の事情を考えてみると、米国経済が成長率も失業率の低下も懸念が残るほどに「modest」な伸びにとどまり、一方でFRBが「インフレ上昇」ではなく「低インフレ」に頭を悩ますような、安定した物価情勢が続いていることが「マーケットにとって良い環境」となっていると言える。
問題は、バランスの良い状態がいつまで続くかである。7月の米雇用統計は、ゴルディロックス・エコノミーの期間が予想よりも少し長く続く可能性を残した。雇用の数的な伸びが市場の予想を下回ったからだ。その統計が出る以前は、「9月にもFRBはQE3の縮小に着手」との見方もあって、これが世界の株式市場を一時震撼させた。米国の超緩和で流れ出た資金が、世界のマーケットを潤していたからだ。それが回収となれば、水準訂正は必至だったし、実際にそうなった。過去の例を見ても、緩和状態から引き締めに向かう時期の相場は難しい。
筆者は7月末のFOMCの声明や8月初めに発表された7月の米雇用統計を見て、米国が今の月間850億ドルの債券購入という形での量的金融緩和の段階的縮小(買い入れ額の減額)が始まるのは9月ではなく、今年の秋も深まったころになるのではないかと思っている。今の米国経済を巡る各種の統計は強弱が入り交じっている状態で、必ずしも早急なアクセル解除の方向にはなっていない。
仮に米国がQE3の縮小に着手しても、それは直ちに引き締め段階に入ったことを意味するのではない。そこが重要だ。これは来年1月に退任すると思われているバーナンキ議長も繰り返し説明している。それをさらに越えてFF金利の引き上げという形で伝統的な金利政策が引き締めに向かうのは、現在7.4%(7月)の米国の失業率が6.5%を下回ってからの話である。
それまでの期間を長いと感じるか、目の前に迫っていると感じるかは、投資家一人一人によって違う。うまく業績相場が始まる可能性もある。また日本の場合は、アベノミクスの本丸である「成長戦略」「産業政策」それに「規制緩和」でマーケットの予想以上の政策が出てきて、市場が再び勢いづく可能性もないではない。それよりも円安の進行が誘因となる可能性があるが、それはこれからの問題だ。一つ言えることは、先進国もBRICSなどの途上国も、「弱い弱い」と言われる現在の景気状況は、“バランス”という意味では、微妙に理想的ということだ。