1. 金融そもそも講座

第111回「雇用重視のイエレン金融政策」

大きな政策の背景には、それを進める当局、または当局者の基本的な考え方が必ず存在する。なければそれは場当たり策でしかない。「大きな政策」は「場当たり策」であってはならない。だからこそ、大きな政策の行方と実体経済への影響・波及効果をしっかりと予測するには、その考え方の基本・原則をしっかりと頭の中に入れておく必要がある。「考え方の枠組み」をしっかりつくっておかないと、先行きに対する予測もあやふやなものになってしまうからだ。

シカゴでの講演

今回取り上げるのは、今年(2014年)の2月に初の女性トップとして登場したイエレンFRB(米連邦準備理事会)議長の金融政策である。FRBは言ってみれば「世界経済の中央銀行」で、それ故にその中心に座ったイエレン議長の政策のモチベーション(動機付け)やロジック(論理)をしっかりと頭に刻んでおくことは、米金融政策のみならず世界経済の行方を考える上で重要だ。

就任からほぼ2カ月たつ彼女は、3月末にシカゴで「What the Federal Reserve Is Doing to Promote a Stronger Job Market」(より強い労働市場形成のためにFRBが行っていること)と題する講演を行った。彼女がFRBの中にあっても労働問題の専門家であることは紹介してきた。しかしこの講演が注目されるのは彼女にとって「FRBの議長として初めてのもの」であるという点だ。

FRBには「物価の安定と雇用の最大化」というデュアル・マンデート(二つの使命)が課されている。米国の場合、今は「物価の安定」は確保されている。ということはFRBの抱える最大の問題が「雇用の最大化」にあることは明らかで、この講演はイエレン議長にとって初の「トップとしての考え方」の表明機会であった。そして期待通りに、彼女は自分の金融政策に関する考え方を体系的かつ素直に述べた。

この講演が注目されたのには特殊な事情もあった。彼女が議長を務めた最初のFOMC(米連邦公開市場委員会)後の記者会見でつい口を滑らせ、米国や日本の金融界やマスコミが大騒ぎした発言「QE3終了後6カ月ほどで金利引き上げの可能性がある」の真意をいぶかる人が多かったから、それを間接的に釈明する場と考えられもした。

イエレン的発想

筆者が講演で注目したポイントは二つだ。第一には、彼女が「Although we work through financial markets, our goal is to help Main Street, not Wall Street.」と言ったこと。これはある意味痛快だ。ウォール街の対岸(ブルックリン)で生まれながら、一度としてウォール街で働いたことのない彼女にしか言えない。これまでの議長は何代にも渡ってウォール街との関係が深かったからだ。「FRBの金融政策は金融市場を通じて米経済に働きかけるが、FRBの目標はあくまでメイン・ストリートを助けることにあって、ウォール街を助けるためではない」と。新議長は、地道に働く人のサイドに立つと言っているに等しい。

第二に彼女がまるで米国大統領の一般教書演説を思わせるように、仕事を見つけることに苦労している人など一般人3名の実名を挙げて、米国人がいかに仕事や住宅ローンの返済で苦労しているかを紹介したことだ。これは米国では政治家が行う手法であって、過去FRBの議長が進んでしたことはない。ウォール街出身の過去のFRB議長は「失業」を語るときには「率」や「就業者数」などの数字で現状や目標を語ってきた。善しあしの問題は別にして、彼女の金融政策には“人的ファクター”が入るという予感を持った。

彼女の発言にはまだ興味深いものがある。「The recovery still feels like a recession to many Americans, and it also looks that way in some economic statistics.」はその代表だが、これも一般庶民の感覚だ。「今の米国経済は回復してはいるが、実は多くの米国人にとって依然としてまるで“リセッションの最中”にいるような感覚があり、いくつかの経済統計も今がまだリセッションの最中のように見える」と言っている。日本でも「アベノミクスで経済は良くなった」といわれるが、「ひいき目に見ても過去の回復時とは感覚が違う。まだ不況が続いているような気がする」という実感がある。それと同じだ。

“超”緩和策が続く

政策面の議論で一番重要なのは、「Most of my colleagues on the Federal Open Market Committee and I estimate that the unemployment rate consistent with maximum sustainable employment is now between 5.2 percent and 5.6 percent, well below the 6.7 percent rate in February.」と述べた部分だ。バーナンキ時代のフォワード・ガイダンス(政策金利の先行きを示す指針)では、「米失業率が6.5%に下がったら、金利の引き上げ目安とする」となっていた。最近はずっと「失業率が6.5%を下回っても超緩和政策を続ける」指針が強調されてきたが、「では実際に米失業率が何%くらいで完全雇用状態が生ずるのか」は明らかにされていなかった。

彼女はあえてその問題に触れて、「持続可能な最大雇用状況」(完全雇用状態と言ってもよい)を指し示す米国の失業率は5.2~5.6%だ」と述べた。以前コチャラコタFOMC委員が、フォワード・ガイダンスにおける失業率ターゲットを外すべきではなく「5.5%に置くべきだ」と言っていたことと軌を一にする。米国の失業率がそこまで下がるにはまだ相当時間がかかる。

彼女は講演の最後に、「米労働市場には十分な“slack”がある」と強調した。slack とは言ってみれば「(ロープの)緩み」である。労働市場に緩みがある限り、インフレの発生を懸念する必要がないということだ。つまり、“超”金融緩和策を続けることができると言っている。

彼女は「2009年の10%に対して米失業率は6.7%(3月)に下がり、この間に750万人が職に就いた」としながらも、「正規職を欲しながらパートタイムで働いている人が依然として多い」「多くの分野で労働賃金が上昇していない」などslackの存在を指摘して、これらの状況を打破するためには「米国経済を強くしなければならない」「そのためには金融政策が果たすべき役割がある」と強調した。つまり、彼女の講演全体を見渡せば、QE3が終了しても米国の“超”金融緩和政策はかなりの時間続く、ということだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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