発売された「ウィンドウズ95」の日本語版を買い求める人たち
1995年11月22日深夜。全国の家電量販店で、閉じられたシャッターの前に長蛇の列ができていた。翌23日の午前零時とともに発売されるウィンドウズ95を待つ人々の列である。ウィンドウズ95はマイクロソフト社が発表したOS(オペレーティング・システム)で、これをきっかけとしてパソコンは急速に普及し、マイクロソフト社はOS市場を独占していった。しかしこの日、長蛇の列を見ながら快哉を叫んでいたのはマイクロソフト社だけではなかった。オービックビジネスコンサルタントの社長、和田成史もまたそのひとりだったのである。
ウィンドウズ95発売日の混乱した様子を報道する当時の新聞記事
(出所)日本経済新聞1995年11月23日付
大学卒業後、公認会計士の資格を取得した和田は1980年12月、会計事務所を立ち上げ、経営者向けに会計コンサルティング業務をスタートさせた。学生時代から共に公認会計士を目指し、ほぼ同時に3次試験に合格した妻と二人三脚のスタートだった。ちょうどその頃、マイクロソフト社のプログラム言語Basicが初めて日本に紹介された。知人からそのことを伝え聞いた和田は、会計とコンピュータシステムを融合させることを考え始める。1970年代後半から、企業の経理業務には確かにコンピュータ化の兆しが見え始めていた。しかしこの潮流は、まだまだ大きな問題点をはらんでいた。
問題点とは何か。それを理解するためには、コンピュータとはそもそもどういう仕組みで作動しているのかを知らなければならない。ここでいったん、コンピュータの基本的な構造について説明しておこう。コンピュータそれ自体は、機械が詰まったただの箱である。ここに、オペレーティング・システム(OS)と呼ばれる基本ソフトを組み込んで、初めて命が吹き込まれることになる。人間の体にたとえれば、命令を理解するための言葉と、それを伝達し動作に移すための神経系の信号がここで与えられたということである。しかしこの段階ではまだコンピュータは機能しない。OSの上に、動作の方法を規定したアプリケーション・ソフトと呼ばれるソフトを組み込まなくてはならない。いわゆるワープロソフトや通信ソフト、計算ソフトなどがそれである。カメラが写真を撮る道具であり電子レンジが食品を温める道具であるように、コンピュータはこのアプリケーション・ソフトによって、ワープロソフトを組み込めばワープロとして、通信ソフトを組み込めば通信機として、計算ソフトを組み込めば計算機として機能するようになる。冒頭に記した、ブームを巻き起こしたウィンドウズ95は、コンピュータに最初に組み込むOSである。しかしパソコン普及前夜であった当時は、こうしたコンピュータの基本概念はまだ浸透しておらず、ブームに乗ってウィンドウズ95を買い求めたもののパソコンを持っていないために使えないということを、買ってから知ったユーザーも少なからずいた。ウィンドウズ95とともにパソコンが急速に普及するまで、人々のコンピュータに対する認識は今とはずいぶん違ったものだったのである。