1. 金融そもそも講座

第15回「重要な選択肢としての不動産」

もう一つの富の象徴=不動産

人類の歴史を振り返ると、実際の経済活動において金(ゴールド)以上に「富の象徴」となっていたし、今でもその傾向が強いのは不動産である。特に土地は、それを十分に持つことによって初めて農業を行い、多くの人が生きていくのに必要な生産物(米・小麦などの穀物や野菜など)を生み出すことも、家を建てることもできた。草と水を求めて終始移動する放牧民以外は、人類はずっと土地を巡って争い、それを富の象徴とし、金融や投資の対象としてきた。

金に対するのとはまた別の意味で、人類は土地に対して強いこだわりを持つ。古代において一般的に“貴族”と呼ばれる人々がその地位を保てたのは、一つには大きな不動産を持っていて農業生産力をかなりの部分占有できていたからである。武士階級が台頭した後の日本の“藩”も、土地の広さが生み出す石高を基準に、藩の格式が決められていた。言ってみれば昔の体制はどれにしても不動産本位制のようなものだった。

今でもそれは我々の日常の中に残っている。「あの人は大きい家に住んでいる」と言えば、土地持ちの上にお金があって、家も立派で大きいという意味であり、だからこそ日本だけでなく世界中で「不動産の保有」は多くの人の夢だった。不動産バブルが起きていた米国ではつい2年前にそれが破裂しリーマン・ショックの口火を切った。人類の歴史上、オランダでのチューリップ・バブルなど一部の例外はあるが、バブルは圧倒的に不動産を巡っておき、しかも各国、各地で繰り返し起きている。むしろ最近はそのインターバルが短くなっている。いずれにせよ、人類にとって不動産(土地)は重要なのである。

正確なパーセントは分からないが、そもそも、金融は不動産を購入する資金が足りないというギャップを埋め合わせる為の意味合いが強い。例えば、住宅ローンを考えてみると、土地と家を買う資力がその時点ではない人が、銀行など金融機関からお金を借りて売り手に支払い、資金融通してくれた金融機関に時間をかけて返済していく経済行為である。ギャップの埋め合わせというのはそういう意味だ。

企業にとっても不動産は必要なものだ。工場を造るにも、本社社屋を建てるにも、賃借するのでなければ買わなくてはならない。不動産を買うとなると巨額の資金がいる。銀行融資を受けたり、株式や債券を発行して資金を調達し、経済活動を行う。そういう意味で不動産の保有やその取引は金融を含めあらゆる生産活動のベースになっている。

不安定な不動産価格

問題は、とっても重要な不動産の価格が、大きくスイングすることである。時に大きく持続的に上がり、時には非常に大きく下がったりする。人間の経済活動にとってそれほど重要なモノの値段がこれほど激しく動いて良いのか、と思えるほど大きく変動する。それが成功劇や悲喜劇を生む。不動産で財をなし、膨大な富を獲得した人がいるかと思えば、失敗して本来の事業までも終わりにしなければならなかった事業家、行き詰まった人の数も多い。

不動産は、株や債券のようにシステム化されてはいないが、やはり自由に売り買いされる。相対のケースが圧倒的だ。当然、経済状態が良くて、また人口が増えてより多くの人が家を欲しいと思うような時期には値段が上昇する。ましてや金融が緩和されていて、金利が低い時期にはそうだ。世界中で起きたバブルは、金融緩和期に生じている。自分が借りるお金の金利が低いときには住宅購入者も動くし、今住宅を買っておけば将来値上がりするだろうという見込みのもとに投機的な買いが入る。それによってますます値上がりし、人々は「不動産は値上がりする」と判断し、それに確信・過信を持つ人が多くなる。

時にはそれに政府の政策も加わる。つい最近の米国でのサブプライム・ローン危機は、政府の「持ち家比率向上」の大きな政策のもと、“プライム”と呼ばれる低い優遇金利ではお金を借りられない低所得の人々が一斉に、“サブプライム”という比較的高い金利でお金を借りて家を買ったことがきっかけとなった。これまで土地の広い米国の一般住宅地では、急激な不動産価格の上昇はあまりなかった。しかし、土地、家購入が難しかった人まで不動産買いに走ったことから、不動産価格が急速に上昇し、それが破裂して多くの人が行き詰まったし、経済も大きな打撃を受けたのである。

つまり不動産投資は、例えそれが自分の住む家の購入であろうと、タイミングの計り方は非常に難しいということだ。筆者も自分の身の回りに多くの悲喜劇を見てきた。私自身は賃貸派であまり不動産購入には興味がないが、90年代の半ばには不動産価格もピーク時から大きく下がり金利も安くなったが故に、私の回りでも多くの人が家を求めた。実際にはその後も日本の各地で不動産価格は下がり続け、「タイミングを間違えた」と思っていた人が多かったように思う。

賃料生活?

「年金生活」は月並みとして、人々が将来の夢としてしばしば語るのは、「印税生活」と「賃貸収入での安定した生活」ではないだろうか。「印税生活」についてはこのシリーズの第1回で取り上げた。確かに村上春樹氏はすごいが、あれほどの印税収入を得られて、それで生活できる人はほんの一握りだ。それに対して、「賃料収入での生活」をしている人はずっと多い。自分が住む家以外にアパートやマンション、ビルを保有して、それを他人や企業に貸して生計を立てようというのである。昔は資産家の老人の生活パターンだったが、最近は壮年の人たちも積極的に財産を殖やす方法として賃貸収入を一義的に、そして二義的には値上がり時の“転売”を狙いに、不動産投資を行っている。

ただし不動産には、株や債券にはない厄介な問題がある。まず不動産は個性が強い。10メートルと離れていない土地であっても、大通りに面している土地と、そこから狭い路地に入った奥の土地では値段が相当違う。不動産は形状もまちまちだし、隣近所に誰が住んでいるのかでも価格は違ってくる。つまり、標準化が最初からなされている株や債券に比べて不動産は個別要因が強くて、価格付けも非常に難しいのである。それを売り買いしているわけだから、難しい面があるのも当然だ。各種税金の問題もある。

加えて不動産購入には株や債券の購入とは違った“面倒くささ”がつきまとう。例えばアパートを貸すとしよう。最近は賃借人の出入りが激しいし、中には家賃を滞納したり、そのうち払えなくなってしまう人もいる。その場合退去してもらいたいが、なかなか出て行かないといった問題も起きる。ビルやマンションを貸している場合には、水漏れがあっただとか、エアコンが故障したとか・・・。ビルを持っている友人が「これにはまいった」と言っていた。管理会社を通しても、お金のかかる修理など結局は大家さんが承認しなければならない。そのたびに電話がかかってくる。不動産投資は夢も大きいが、はるかに不動手間暇がかかるのである。

そういう意味では、「リート」は不動産を投資対象にしながらも、そうした面倒なことから投資家が解き放たれるという面では一歩進んだ投資手法といえる。リートとはReal Estate Investment Trustの略で、日本語では「不動産投資信託」と訳される。東京証券取引所には銘柄コード8951以下を中心に数十銘柄が上場されている。ただし発足以来の相場の動きを見ると値動きは激しい。

いずれにせよ、不動産には株や債券にはない独特の魅力とリスクがある。そこをよく理解することが必要だ。次回は、不動産にしばしばつきものの“バブル”を扱う。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

バックナンバー2010年へ戻る

目次へ戻る