1. 金融そもそも講座

第86回「ミャンマーの可能性と課題 PART4」電力が足りない / 民族問題の存在

前回は動画を利用してミャンマーの現状とその可能性を解説したが、今回は同国が抱えている「課題」に触れたい。そこには途上国全般が抱えている問題に加えて、ミャンマー独自の問題もある。成長のモメンタムは強いが、早急に、または時間をかけてでも乗り越えなければならない課題が多い。

電力が足りない・・・

まず指摘できるのは、この国の「電気供給の不安定さ」だ。これはBRICsの一角であるインドにも通じる問題だが、私の印象ではインドよりもひどい。国全体の工業化にとって最も大きな問題だと思う。なぜなら規格品を作るにしても電力の安定供給、工場の常時稼働、安定稼働は極めて重要な前提条件だからだ。

私の滞在中にも停電があったが、何回あったのか忘れるくらい多かった。とても高い頻度で起きるのだ。ミャンマー人のツアーコンダクターが自嘲気味にある冗談を紹介してくれた。「ミャンマーでは一日3回停電する。それぞれの停電の長さは8時間だ」と。それが冗談ではないように聞こえる。

我々一行は移動していないときにはホテルやレストランにいたから、それぞれが備えている自家発電機でまもなく電気は回復したが。一般家庭でも自家発電機を持っていて、停電の数十秒後に稼動するから最低限の電力は確保できる。しかし自家発電機を持たない貧困層の家などは、そもそも電気に頼らない暮らしになっていた。エレベーターがない4~5階建てのアパートやビルがミャンマーには多い。

3.11後の電力不足の折に日本人は実感したが、電力は近代人が感じる“豊かさ”のほぼ全ての源泉だ。それが時々でも枯渇するということは非常に不便である。例えば、温水洗浄便座は使えないし、エレベーターなどは危なくて乗れない。

工場などを稼働させるにしても、出来上がり製品の品質維持が極めて難しい。我々が滞在したのが水の少ない乾期だったこともあるかもしれないが、それにしてもミャンマーの電力事情は悪い。

道路や水道は?

次にインフラだ。道路はヤンゴンなど都市部の中心的道路を除くと、まともに走れる方が少ない。特に農村部では、走れてもガタガタだ。バスなどに座っていると常に大きく左右に揺さぶられ、時には大きく跳ね上げられる。それが繰り返されておしりが痛くなるほどだ。道路は舗装してあるようでもあり、ないようでもある。舗装と非舗装の境界が曖昧だ。つまり、舗装、非舗装が入り交じった道であり、ものすごく埃っぽい。これは精密工業製品などを輸送するに適した道とはいえない。

さらに我々の乗ったバスはちょっと大きかったので、ヤンゴンの街中で電線を引っかけてしまった。電気の送電網もひどい。ベトナムほど電柱から多くの電線が垂れ下がっていることはないが、その垂れ方は同じだ。

高速道路はヤンゴンとマンデレーの間にやっとでき始めていた。600キロの移動に9時間かかるそうだ。もっとも列車では16 時間かかるそうだから、すごい進歩ではある。

水道はどうか?「一流」といわれるホテルの決して良いとはいえない水質から想像すると、ミャンマー全体の水道管はひどい状態だろう。一流ホテルでお風呂の浴槽にお湯をためても、きれいな水は出てこない。しばしば薄い土色をしていて、お湯が出ないときもあった。

民族問題の存在

ベトナムにはそれほどないがミャンマーに厳然としてあるものとして、民族問題が挙げられる。ミャンマーには138の部族があるという。最大民族のビルマ族が4割近くを占めるが、その他に州の名前になっている7つの大きな民族があり、その民族がまたかなり細かく枝分かれしている。話し言葉も文字も違うらしい。だから共通語は英語だ。

例えば、シャン族に入る人々は500万人くらいいる。それらはさらに多くの部族に分かれているのだが、それでもシャン族の間ではミャンマーからの「独立論」が根強いという。今でも自分たちが住む地域を「シャンの国」と呼び、ヤンゴンなどビルマ族が住む都市などに行くときは「ビルマの国に行く」と言うそうだ。またビルマ族の管区の人々を「ミャンマーの国の人たち」と呼ぶそうだ。カチン州も独立論が強い。

ユーゴスラビアもそうだったが、多民族を抱えた国の政府は、強制、思想、体制などにより、その問題の噴出を押さえ込もうとする。そのタガが緩めば、国はばらばらになる危険性がある。ユーゴスラビアは良い例で、社会主義思想とチトーという大統領が過去のものとなった段階で分裂した。ミャンマーは軍政で国としての体裁を整えてきた。善し悪しの問題は別にして、軍政故にミャンマーはそれなりに一つの国としてまとまってきたともいえる。しかし今でも武力闘争があり、それが新聞で報じられる。そうした地域には外国人は今でも入れない。我々も予定していたのに、入れなかった地域があった。

ユーゴスラビアは、我々の記憶にも新しい、激しい国内紛争後に民族ごとのいくつかの国になってやっと落ち着いた。ミャンマーも規模は違うがそうなる危険性がある。軍政から民主化のプロセスも、民族問題を抱えた国ではなかなか難しいのだ。なぜなら何らかの抑圧が解けた段階で、それが噴出する危険性があるからだ。アウンサン・スー・チーさんが民族問題に「人道的見地から発言はしない」と言っているのは、彼女の、そして「民主化運動の限界」でもあるように思えた。ミャンマーは民主化と民族問題解決が共存する道筋がなかなか描けない。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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