1. お金の歴史雑学コラム
Column 20

江戸時代のお金と市場のはなし

証券化の始まり
諸藩が販売する米は大坂に集中して集められ、それらを取引する場所として「堂島米市場」と呼ばれる米の取引所が誕生しました。
堂島米市場では、各藩が発行した米の交換チケットである米切手を売買する「正米取引」と、米商人たちの間で米の売買価格を収穫前にあらかじめ決める取引「帳合米取引」が行われていました。
「正米取引」とは、今ある米を今決めた値段で取引する、いわゆる現物取引です。米の仲買人が諸藩から米を購入すると、現物の米の代わりに米切手を受け取りました。米切手は、1枚あたり米10石(重さにして約1.5t=約25俵の米俵)との交換を約束したものでした。米切手を利用することで、取引の都度、大量の米をやり取りする必要もなく、また、米を保管するための倉庫も必要ありませんでした。米切手を蔵屋敷(諸藩が年貢米などを市場のある都市に保管しておくための倉庫兼屋敷)に持ち込むことで現物の米に交換することも出来ました。すなわち大坂米市場では米を証券化して取引をしていたのです。

米切手

先物取引もあった?!
「帳合米取引」は、将来とれる米の値段をあらかじめ決めて取引をする、今で言う先物取引です。米の価格というのは天候や災害などの要因で常に変動します。米商人たちはその価格を安定させたいと考えました。そこで、収穫前からあらかじめ米の売買価格を決めておく帳合米取引が生まれました。事前に米の価格を決めておけば、米商人たちは天候要因などによる損失を低減できますし、町の米屋や庶民が米を手に入れる際にも価格の変動を抑える事ができたのです。さらに、米の値上がりを予想して事前に買い付けておいたり、値下がりを見越して売り付けておいたりなど、帳合米取引を利用して利益を狙う者も現れました。
このように、米は江戸時代の市場経済で貨幣と同様、重要な役割を果たしており、世界最古にして最先端の先物市場が生まれるきっかけになりました。

米取引の仕組みは現代に引き継がれている
帳合米取引は日本のデリバティブ取引の起源と言われています。
江戸時代に大坂で誕生した米市場は、後に「堂島米会所」として江戸幕府に公式に認可され、東京証券取引所の前身である東京株式取引所や大阪取引所の前身である大阪株式取引所の設立に大きな影響を与えました。
現在も日経平均株価などの指数を対象とした日経225先物やTOPIX先物といった商品が大阪取引所に上場しています。

江戸時代は身分の格差が大きい封建制度でしたが、一方で自由な市場経済が存在し経済発展をもたらしました。そして現在の市場経済システムに大きな影響を与えたのです。

※このコラムは信頼できると判断した各種情報等に基づき作成していますが、その正確性、完全性を保証するものではなく、また諸説ある場合があります。

box