1. 金融そもそも講座

第57回「金融取引税とは?」

欧州財政危機への対応策としてこのところ何度となくマスコミ報道に登場する「金融取引税」。2012年、年明け早々の1月10日にも、フランスのバロワン経済・財政・産業相が「金融取引税については、株式だけでなく、債券やデリバティブを含むあらゆる証券を対象としたい」との考えを示したが、そもそもこれはいかなるものか?メリットとデメリットは何かを今回は取り上げたい。

古くからある提案

「金融取引税」は、しばしば「トービン税」とも呼ばれる。もともとノーベル経済学賞受賞者であるジェームズ・トービン教授(エール大学経済学部)が1972年に提唱した税制度であるためだ。中味は「投機目的の短期的な取引を抑制するために国際通貨取引に低率の課税をする」というもの。当初はあまり注目されなかったアイデアだったが、1994年のメキシコ通貨危機で注目を集め、その後は時々話題になってきた。昨年からの欧州危機によってフランスやドイツで「導入論」が高まり、今は世界的な関心を集めている。興味深いことに、このコーナーでも取り上げた「ウォール街占拠(Occupy Wall Street)」運動の主張の一つでもある。ということは、大西洋の両側に支持者がいるということだ。

トービン教授が提唱の対象としたのは、一日に何回も取引を繰り返すような“為替投機”、またはその業者だったといわれる。しかし今では、冒頭に紹介したフランスの大臣のように「全金融取引に」といった意見も出てきて、世界でも支持者が増えている。実は、株式取引の利益に対して税を課している国は、日本を含めて多い。フランスの場合は2008年に株式取引税を撤廃しているが、再導入の議論にも関連して「今度は全金融取引に」という主張が出てきている。

現在の議論は、リーマンショックを含め、金融世界での出来事に端を発した世界的な経済危機は、実体経済とかけ離れた金融取引(為替、株式、債券、先物、デリバティブなど)の行き過ぎが原因であり、それを抑制するために「各取引に1%前後の税金をかけること」を念頭に進んでいる。つまり従来の株式取引税とはまた違った主張だ。「個人的見解」と断りながらも、ドイツのメルケル首相もユーロ圏17カ国が金融取引税を導入することを支持すると表明している。メルケル首相の発言は、今年に入ってイタリアのモンティ首相との会談後に記者団に対して行ったもので、「緊急時においては、ユーロ圏でそのような税を導入し得るというのが私の個人的な意見だ」としている。

メリットとデメリット

「金融取引税」のメリットとデメリットはどこにあるのだろうか。メリットを以下に挙げる。

  • 1. 通貨や金融取引にその取引ごとに税金をかければ、投機目的の取引を抑制できる
  • 2. そこから上がった税収を様々なところに使え、先進各国共通の財政危機対策にもなる

金融取引税の税収の行方に関して、以前は発展途上国の債務解消・融資やエイズ、環境問題などに使う考えが多かったが、今は欧州を中心に財政再建の有力手段との意見が強い。「1」についていえば、フランス、ドイツとしては、英国や米国中心のアングロ・サクソン主流の金融市場での金融取引が世界全体の経済を不安定にしている、という思いが強いに違いない。

金融取引税を支持する声は、シティを抱える英国にもある。長く蔵相を務めたブラウン前首相は、国際的な金融機関の破綻に備えて国際的な仕組みを構築することの必要性を説いたなかで、破綻処理ファンドや自己資本規制強化と並んで「国際的な金融取引課税」を挙げたことがある。もっとも、シティやウォール街ではあまり人気のない構想だ。「税金がかかれば、金融取引自体が減ってしまう」という見方だ。

金融取引税に「欠点」があることを、実はトービン教授自身が認めている。世界各国が同時に実施しないと、資金や取引は実施していない国やタックス・ヘブン諸国を通過するようになり、「世界的な資金の移動にゆがみが生ずる」ということだ。非導入国がある場合、投機家の資金が非導入国に大量に流入する恐れがある。この「世界同時実施」というのは非常に難しい。それがこれまで実際には施行されなかった背景の大きな理由だ。「まずドイツとフランスで」との意見もあるが、これもまた難しいだろう。

対応は必要

さらに、仮に金融監督当局が金融取引税の課税対象となる金融取引や通貨取引を決めても、税を回避するためにその対象外の取引手法、さらには、代替的な金融商品取引が開発されてしまう可能性もある。金融市場には、そんな知恵人はいくらでもいる。仮にそうなれば、金融監督当局はそれを追いかけて課税対象を広げざるを得ないことになるだろう。そしてそれをまた逃れようという動きも出てくる。つまり“いたちごっこ”が生じかねない。そんなことになれば、金融も経済全体も非効率的になってしまうかもしれない。実施には課題が多いのだ。

しかし、「では今のままでもよいのか」「金融が実体経済の打撃になっている事態は、今後避けなければならない」という意見は欧州や米国ばかりでなく、アジアでも強い。今年も世界経済は不安定なままの幕開けだ。その一つの原因は、欧州の債券市場を中心に金融市場の動きが不安定なことにある。世界経済が勢いを取り戻しても、フラッシュ・クラッシュ(瞬時の急落)のような金融市場の混乱によって世界経済が突然崩れる事態におびえているのでは、足元は危うい。

筆者は、高速なコンピューター処理によって人間の判断・対応力を超えるような金融取引、またはその高速回転が世界経済を不安定にしている面があると見ている。普通には結果を予測できない高速取引の横行で、一般投資家に“疎外感”が生まれ、投資家の市場離れ傾向の背景になっているという印象を持っている。日本では特にそれが顕著だ。

わずか数分の間にダウ平均が1000ドル近く下落した2010年5月6日のフラッシュ・クラッシュを思い出すだけでも十分だ。日本経済の低迷もあるが、あの時生まれた日本人投資家の疎外感が、今も市場への参加意欲をそいでいると見ている。

金融取引税にはメリット、デメリットの両方がある。欧州危機が進む中で、今年は「財政再建」と同時にこの“新しい税金”についてあちこちで議論されるだろう。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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