1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

新日本石油株式会社 初代社長 内藤久寛

1923~1931年 初の外資提携で三菱石油創業

岩崎小彌太

三菱合資会社社長
岩崎小彌太

同じ頃、三菱合資会社社長の岩崎小彌太も、石油に関心を持っていた。1923年に三菱商事会社内に臨時液体燃料調査委員会を設けて石油取引の準備を開始し、同年12月、原油と重油の一手販売契約をサンフランシスコのアソシエーテッド石油会社と締結した。順調なスタートとなったが、すぐにわかったことは、いずれ国内に製油所を建設して石油精製業まで手を広げなければ事業としての展望が開けない、ということだった。輸入税の関係上、原油を輸入して国内で精製するほうが製品輸入よりも有利なうえ、政府の方針も製品輸入の抑制に向かうことは明らかだった。しかし石油資源に乏しい日本では石油精製技術もまだまだ稚拙だった。そのため、原油の輸入確保に加え、石油精製設備と技術の導入のためにもアメリカの石油会社との資本提携が必要だと考えられた。こうして1929年、サンフランシスコで三菱合資、三菱鉱業、三菱商事の3社とアソシエーテッド社の共同経営契約が調印され、1931年2月14日、三菱石油株式会社が誕生した。岩崎小彌太は海外との共同経営事業に関心を持ち続けていて、三菱電機などでいくつかの提携は実現していたが、本格的な共同経営は三菱石油が最初であり、日本の石油業でもこれが外資提携の先駆となった。なお、1949年に実現した日本石油とアメリカの石油会社カルテックスとの提携も、カルテックスの豊富な原油供給力を入手できる対等な提携となったため、最も優れた外資提携の例として知られている。

八重洲給油所

日本石油の八重洲給油所。蝙蝠マークとカルテックスの星のマークが掲げられている(1955頃)

三菱石油の設立を前に、岩崎社長は日本石油に水田政吉(1944年2月~1945年7月同社社長)を訪ね、三菱石油の計画を話して了解を求めた。水田は若い頃、岩崎家の学寮で岩崎小彌太と起居を共にした、いわば岩崎の先輩であった。「お互いに公正な競争は事業発展のためにも必要であり、そのためには新会社の資本金ぐらいは損をしても構わないつもりだ」という岩崎の言葉と、「三菱は決して自分勝手な真似はせぬ、他所とも手を握って仲良くやっていく」という三菱側の申し出に業界も納得し、互いに事業の発展を誓い合った。

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IRマガジン2003.春号 Vol.61 野村インベスター・リレーションズ

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