1. 金融そもそも講座

第66回「司令塔なき危機」

前回「欧州では論争が沸き起こっている」と書いたが、「緊縮が先か、成長が先か」と論争している間に、5月下旬にかけて世界経済の危機は徐々に増してしまった。

まとまらない欧州

5月初めのフランス大統領選挙、ギリシャの総選挙がその典型だが、今の欧州の民意は、「とにかく成長、特に雇用が欲しい」というものだろう。勝ち組のドイツでもノルトライン・ウェストファーレンというドイツ最大の州で、メルケル首相率いる与党が州議会選挙に惨敗した。それも「緊縮はもう結構。若者に雇用を、経済に成長を」というものだった。英国の地方選挙、少し前のオランダの内閣崩壊など、様々なところでその傾向は顕著だ。

しかし「市場との対話」を迫られる主要国の政治家は、「民意は民意としてできることとできないことがある」という立場だ。再び財政から景気刺激をすべきではないし、それをすれば国が、欧州(EU)が危機に立つ、という考え方を大筋で崩していない。その中心に座るのがドイツだ。トロイカ(IMF、EU、ECB)のEU以外のメンバーもそう考えている。実際に、スペインやイタリアの国債利回りが、「返済が極めて苦しくなるほどの高利率に達する」ことを見ているだけに、おいそれとは「財政の出動を」というわけにはいかない。

注目されたのは5月下旬に行われる(この原稿は5月23日に執筆)欧州の一連の首脳会談だ。「緊縮策を放棄できず、しかし成長にも気配りする政策」というのは、5月中旬のG8宣言にもあるが、実行するとなると難しい。戦後の景気悪化に対処する刺激策の大部分は、「政府がお金を使う」というタイプのものだった。

財政を使わない成長戦略として一番容易に考えられるのは「構造改革」だ。労働市場の自由化などだが、ドイツはそれをかなり前にやった。そもそも構造改革は時間がかかるし、従来の社会の仕組みへの挑戦でもある。ギリシャをはじめとして各国が迅速にできる保証はないし、直ちに「成長と雇用」に役立つことはないだろう。

5月下旬の一連の会議で明らかになりつつあるのは、ドイツの立場の“硬さ”だ。それは大きなインフレを経験した歴史的な重みの中にあり、ある意味当然だ。メルケル首相によるユーロ共同債構想拒否やブンデスバンクの対ギリシャ融資条件緩和への「ノー」にそれが現れている。「成長よりは緊縮第一」のスタンスである。

しかし民意は「成長と雇用」にあり、欧州がいろいろなところで足並みの乱れを顕在化させているということだ。

そっぽを向く米国

前段でG8宣言に触れたので、せっかくだからもう少しこの宣言を見ておこう。ホワイトハウスのサイト(http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2012/05/19/camp-david-declaration)にあるが、この文章は今の危機を戦後繰り返された危機と比較する上でとても分かりやすい。

最初に指摘しておきたいのは、戦後の国際的な金融危機では必ず米国の財務長官が世界中を飛び回り、根回しや調整をして尽力してきたことだ。成功度の差はあったが、危機が収まってきたことは確かだ。1990年代後半のアジア通貨危機もそうだ。このときは、韓国がIMFの管理下に入った。米国経済は戦後すぐには世界のGDPの半分を持つ大きな存在だった。つまり、「世界経済の危機」は、米国経済の危機そのものだったのだ。だから米国の財務長官は、“世界の”財務長官でもあったのだ。

今回の欧州危機では、確かに初期段階でガイトナー財務長官は動いた。しかし、最近ではこの財務長官が動いた形跡は全くない。報道もない。危機が深まってもそうなのだ。初期段階で欧州の首脳たちの動きが鈍いことに腹を立て、「勝手にしろ」という態度に転じたのだ。そうせざるを得ない事情もある。直近のリーマンショックは米国発の危機だった。危機を起こした国が、その直後に他国の危機にやいやい言うのはなかなか難しい。今の米国経済も弱く、他人事に関わっている余裕がないのだ。

G8宣言には「We welcome the ongoing discussion in Europe on how to generate growth…(欧州での現下の議論を歓迎する)」とある。G8の主催国は米国で、本当はマーケットも米国に入ってきてほしいのだ。市場は“司令塔”がいれば安心する。しかしこの宣言もそうだが、「欧州よ、しっかり問題を解決しなさい」と、どこか他人事だ。つまり米国は、戦後初めて関与を否定し、「あなたにお任せ」主義を貫いていることになる。

では欧州の中に“司令塔”はいるか?すでに足並みは乱れに乱れている。

そして、司令塔なき危機

筆者はこれを「司令塔なき危機」と呼んでいる。“メルコジ”時代(ドイツにメルケル、フランスにサルコジがいてこの二人が緊密に連携して欧州の舵取りをしていた数年間を総称する言葉)は欧州の歴史においても例外的に両国の意見を一致させようと試みた時期だった。しかし「成長重視」「雇用重視」の現職であるオランド氏は、もう一方のメルケル氏とはかなり立場が違う。

昔から「船頭多くして船山に登る」という。今の欧州はこのことわざのようになりつつある。欧州の政治家たちもそんなことは分かっているが、それぞれ複雑な国内事情を抱えている。ギリシャをはじめスペインやイタリアをどうするか、統一した立場が取れないでいる。

その間に進行しているのが「マーケットの危機」「世界経済の危機」である。それまでの“商品相場スーパーサイクル・シナリオ”、つまり世界経済の規模は拡大していて途上国の需要急増が期待できるので「(商品相場は)長期にわたり尋常でない速度の価格上昇が継続する」との見方はもろくも崩れつつある。このシナリオも単純化されたもので、商品相場の先行きに楽観的な見方ではあるが、「成長シナリオ」の中でこそ理解できる展開予想だった。

しかし今は株価の下落、ユーロ安とともに「商品相場の下落」が顕著になりつつある。これは明らかに世界経済の一つの危機の形である。「司令塔なき危機」であっても際限なく危機が深化することはない。マーケットは“自然治癒力”を持っている。しかし、司令塔がしっかりしていて、その指揮によって世界各国が動くときよりも、回復のきっかけがなかなかつかめないことも確かだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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