1. 金融そもそも講座

第61回「“中間層”の復活?」

戦後の日米経済政策の歴史において、非常に珍しい「具体的目標の一致」が生じている。ともに「成長」「インフレ抑制」「雇用の拡大」など一般的な目標を求めて経済運営してきたことに変わりはないが、今はそれに加えて「中間層の育成」が共通課題となっている。野田首相は施政方針演説で、オバマ大統領は一般教書演説で「中間層を再び厚いものとする」と宣言した。

中間層とは?

文字通り、社会の中で中間を構成する人々の層、厚みである。戦後の米国にも、日本にも分厚く出来上がり、何十年にもわたって存在し続け、ともに安定した民主主義社会の形成に寄与してきた。総じて所得は高くも低くもなく、教育レベルが比較的高く、革新と安定の両方を望み、民主主義社会の基盤を成してきた。しかし今、この「中間層」は日米で減少している。一部では「絶滅危惧種」との声も聞かれ、「中間層の没落」が進んでいるといわれている。日米首脳が時期を同じくして「中間層の復活」を唱えたことは、そうした層が徐々に薄くなっていることを意味し、「理想とされた社会や安定維持にとって大きな問題」と考えていることに他ならない。

では、なぜ中間層に「没落」や「絶滅危惧」の危険が生じているのか。「社会での格差拡大」といわれている問題と関係があるのだろうか。背景の一つには、日米両国で起きている産業構造の大きな変化がある。それは国内製造業の衰退と変容だ。日米を問わずどの国でも、従来の製造業は多くの人を同一水準の賃金で雇用してきた。しかも、他のサービス産業に比べて平均賃金は高い。例えば、戦後の日本は「世界の工場」と呼ばれ、製造業で働く人が急速に増えた。そして「1億総中流化」といわれる現象が進展した。その過程でできたのが、野田首相が言うところの「分厚い中間層」だ。

変容する先進国の産業

米国は日本より早く製造業のかなりの部分を失ったが、その後に興った活力のあるコンピューター関連産業が「中間層」の維持に役立った。米国はいくつかの製造業(例えばテレビ)を失ったが、自動車は大きな産業として残った。かつIT関連産業に有力な企業が次々と現れることによって、多くの米国人に豊かな生活を与え、彼らが「中間層」を形成したのである。

しかし、90年代くらいからそうした環境は大きく変わった。製造業がメキシコなどに工場を移し、IT産業は技術・能力は高いが賃金の安いインドなどに雇用を流出し始めたのである。残ったのは低賃金が多いサービス産業の職だった。

「中間層」と呼ばれた人々に、社会的変動が起きたのである。層の上に移動した人もいたが、大部分の人は下に移動した。米国人の間に強固に存在した「努力すれば報われる」という“アメリカン・ドリーム”は、産業構造の変化の中でその存在基盤を失うことになったのである。「ウォール街占拠運動」の参加者が言う「我々は99%だ」とはそういう意味だ。

オバマ大統領は「中間層の復活」の具体的方策として、「工場を米国に戻す」と言っているが、これは「この間の事情をよく理解している」証拠だ。オバマ大統領の頭の中には、「製造業を戻せば米国には中間層が戻る」「それは米国の今後の政治的安定にとっても重要なことだ」という認識があると思われる。もっとも製造業は自動化、ロボット化が進んで、昔ほど雇用の吸収力はない。しかし、それでも製造業が安定した多くの職を産み出すことに変わりはない。

長い道のり

米国でも日本でもそうだが、製造業が国外に出て行った最大の要因は「国内生産がコスト高になった」からである。日本企業の海外移転の動きを見ればそれが分かる。ベトナムには月1万円で働く若年労働者がいっぱいいる。日本では初任給でも15万円くらいだろう。加えて日本の場合は円高だ。これでは日本で製造業の雇用は増えない。ということは、かつて「中間層」の出現を可能にした産業構造は徐々に失われるということだ。

では、米国はどう「製造業の復帰」を図ろうとしているのか。一つは税制などだが、もう一つ有力な武器がある。それは“ドル安”という手段だ。対円を見ても分かるが、ドルの減価は著しい。これだけドル安が進むと、相対的に労働者の賃金から見た米国の国際的競争力は上がる。中国など途上国の労働賃金が急速に上がっているだけに、一部では「労働コストから見ても、米国に工場を移した方が有利」という状況が生まれている。最大の消費地である米国の体内だから有利だ。

しかし、「製造業を取り戻す」という政策意図がスムーズに進むかどうかは今後の問題だ。「コスト」だけをいうなら世界には安く製造業を請け負う国や地域は次々と出現するだろう。ベトナムの労働賃金の安さは先に取り上げたが、その後を追う国としてはミャンマーやバングラデシュがある。

「世界の工場」が米国や日本に戻ってくるのはそう簡単ではないように見える。ということは、別の産業で「多くの人が、中間的な賃金で働ける場所」を探す必要がある。しかしそれは容易ではない。製造業以外の産業では、アイデアとか手順とかのちょっとした違いや工夫が、大きな売り上げの差を生む。他の人より少しでも努力した人、うまく表現できる人、そして特徴のある人がより多く所得を得ることができる構造になっているからだ。やはり、製造業ほど一律で、安定した雇用を産み出している産業はない。

先進国で進む大きな産業構造の変化(それはしばしば製造業の比重を落とす)の中で、「中間層の復活」を狙う日米の指導者は、かなり難しい道筋を政治目標としていることになる。特に日本は円高に直面しているだけに難しく、長い道のりになりそうだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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