1. 金融そもそも講座

第69回「金融相場の様相」

常識的に考えると不可解な現象がマーケットでは起きる。先進国の景気が欧州の債務危機、銀行危機を背景に低迷し、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったBRICS諸国も中国やインドを中心に経済活動の鈍化に見舞われている。そうした中で、世界的に株式相場が堅調なのである。この原稿を書いている時点(7月4日)では、ニューヨークのダウ工業株30種平均は13000ドル近辺に上昇してきている。それは各国の中央銀行が不況であるが故に金融緩和を進め、その資金が実体経済よりは株式市場などのマーケットにまず向かっているからである。いわゆる「不況下の株高」「金融相場」だ。

低迷の世界経済

世界の実体経済がどうなっているのか久しく触れてこなかったので、簡単におさらいをしておこうと思う。結論から言うと「芳しくない」だ。

まず米国。直近で発表された市場の注目度が高いISM(Institute for Supply Managementの略)指数は、予想外の悪さだった。同指数は供給管理協会が毎月発表しているが、米国の景気転換の先行指標といわれ、「製造業」と「非製造業」の2種類の指数からなる。その製造業の景気指数が6月に景気の分岐点とされる50を割り込んで49.7(5月は53.5)になった。同国では直近2カ月の雇用の伸びも期待を裏切るものとなっており、自動車販売など好調な統計もあるが、全体的には停滞感が強い。

欧州の景気ははっきり言って悪い。欧州全体で工場や商店の雇用主が働く人の削減を行っているのだ。5月のユーロ圏の失業率は11.1%と、1999年のユーロ導入以来最悪の水準を記録した。EU全体の失業率も10.3%と高い状態が続いており、5月の時点で失業者は約2500万人に上った。そのうちスペインが2割超の約570万人を占め、失業率は最悪の24.6%に達した。これは驚くような高水準である。特に若者の失業率は、ギリシャ、スペインなどで異常に高く、50%を上回る。

また、市場調査会社「マークイット」が7月初めに発表したユーロ圏の4~6月期の製造業購買担当者景気指数(PMI)は45.4と、2009年以来の低い数値を記録した。米国のISMと同じくPMIが50を下回ると製造業の活動が縮小していることを示すが、ユーロ圏では11カ月間にわたってこの数字の縮小が続いている。

BRICS諸国の景気も悪い。中国では各種の経済指標の伸びが大きく落ち込んでいるし、ブラジルも各種統計が悪化している。インド経済も自動車の販売台数などの落ち込みや、主な輸出相手国である先進国の経済活動の鈍化を反映して景気悪化が進行中であるといえる。

お金が集まるマーケット

これだけ世界的に景気が悪く、すぐに回復する兆しがない状況では、「株価は低迷する」と考えがちである。しかし実はそうではないのだ。最初に書いたようにニューヨークの株価は非常に高いレベルまで上がってきているし、一時は危機の連鎖の中で下げを繰り返していた欧州の株価も徐々に水準を切り上げてきている。

政策的な背景はいくつか指摘できる。ドイツがこれまでの拒否方針を変えて、「EUが域内各国の銀行に対する直接支援・監督」に乗り出すスキームができつつあり、スペインやイタリアなど各国政府が銀行支援で債務を膨らませなくてよくなりそうなことがある。また欧州中央銀行(ECB)は場合によっては債務危機に直面し債券利回りの上昇で打撃を受けている国の債券(国債)を直接市場から買うことになるかもしれない。これは確かに朗報だ。

しかしそれ以上に大きいのは、「世界的な利下げ観測・金融緩和の進展観測」の高まりがある。例えば7月第一週のECB理事会では0.25%の利下げが実施される見込みだ(※)。これまでユーロ圏の中で比較的堅調だったドイツでも景気低迷の兆候がみられるためで、主要政策金利であるリファイナンス金利が過去最低の1%割れとなる。

米国でも新たな金融緩和に対する期待が高まっている。ISMの指数が非常に悪かったこと、更に雇用情勢の改善が遅々として進まないことからQE3(量的緩和第3弾)発動の見方が再び強まっている。それはECBのように金利水準の引き下げではなく、市中に出回る資金の量を強制的に増やして、それを経済活動活発化の起爆剤に使おうというものである。連邦準備制度理事会(FRB)はQE2まで行ってきたが、これまでの金融政策では効果が芳しくない、という理由になると思われる。もっとも次の米連邦公開市場委員会(FOMC)は7月31日と8月1日の両日に開かれる。

先進国ばかりでなく、今は世界中の中央銀行が金利の引き下げや量的金融緩和を行っている。戦後、先進国の中央銀行がこれだけ足並みをそろえて金融緩和を行った例はない。

※7月5日、ECBはユーロ圏の政策金利を0.25%引き下げた。

市場は複雑

新聞などの報道を見ると、マーケットは説明がしやすい要因によって動いているように見えるが、実は複雑な要因の共振関係の中で動いている。資金が集まれば、マーケットは不況下でも上がる。価格は需要と供給で決まるからだ。売る人より買う人が多ければ上がる。不況下では他に投資する対象(例えば事業を興すとか)が少ないが故に、流動性の高いマーケットにとりあえずお金が集まるということもある。

それを「不況下の株高」とか「金融相場」という。実体経済が良くて企業の業績が伸びているときは実体を伴った株高で「実績相場」とも呼ばれるが、市場に携わっている人間はその時どきの株価の動きが実際にどっちの要因が強いのかを判断しなければならない。筆者が判断するところ、今の世界的な金融緩和の中での株高は「金融相場」の様相が強い。さらに世界各国の金融は一段の緩和に向かっている。

しかし「不況下の株高」「金融相場」には、常に危うさが伴うことを承知しておいた方がよい。それは、金利が一旦上昇の気配になったときには大きな修正を迫られることだ。金利の上昇は、お金を借りて株を買っていた人のコスト増につながる。加えて、金利が上がるということは実体経済での資金需要が増大することを意味する。それだけマーケット以外の経済活動に「投資チャンスが増える」ことを意味している。つまり、その場合には資金の取り合いがマーケットと実体経済の間で起こるということだ。

金融相場ではいつも次の表現を頭に置いておく必要がある。「Enjoy the party but dance close to the door(パーティを楽しみなさい。しかし出口の近くで…)」。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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