1. 金融そもそも講座

第65回「沸き起こる論争」

出口が見えないギリシャに加えて、スペイン、ポルトガルと欧州の危機が続いている。フランス大統領選では現職のサルコジ大統領が敗北した。今までの“債務危機”に対する処方箋は、「とにかく引き締めで財政を均衡に近づける努力をする」だった。現在の欧州諸国の危機は、「経済危機」へと広がりを見せている。「債務危機→引き締め→景気悪化→税収の減少→いっそうの引き締め→失業率の悪化→景気のさらなる悪化」と悪しきスパイラルの様相を示し始めた。「出口のない経済状況」「各国で悪化する景気と失業」という現実を見て、欧州では大きな経済論争が起きている。「ただ引き締めるだけではダメなのではないか」「成長協定が必要」という考え方だ。

一人一票の重み

この論争は欧州全体を巻き込んでいるのだが、無論のことギリシャの庶民からも聞いた。「これでは私たちが暮らしていけないし、景気回復の兆しに到達することもできない」と。ギリシャ国民の悲鳴が、欧州全体の政策レベルの話になりつつある。それは、ギリシャ並みに各国の経済情勢が悪化しているからだし、政治の方向を決めるのは一人一票を持つ国民そのものだからだ。フランスやギリシャの選挙はそれを思い起こさせた。

ギリシャ以外の国もどれほど経済状態が悪いのか。市場を驚かせたのは、スペインだ。前回ギリシャの失業率を21.8%とお伝えした。ところがその後に発表されたスペインの失業率は、24.4%と過去最悪の水準に達した。これは今年(2012年)1~3月の統計で、昨年の第4四半期の22.9%に比べても大幅な上昇だ。スペインの場合は国の財政赤字も大きいが、もっと深刻なのは2010年頃まで10年ほど続いた不動産バブルの後遺症で、家計が大幅な借金を抱え、それに伴い銀行組織が弱体化し、景気に非常に悪い影響を与えていることだ。つい最近も同国の多くの銀行が米国の格付機関から大幅な格下げを受けたばかりだ。

私が先日行ったギリシャばかりでなく、スペインやイタリア、ポルトガルやフランスでも、庶民感覚で「今の引き締め一辺倒の政策はおかしい」「庶民に痛みを押しつけるだけで、景気が良くなる気配すらない」との意見が強まっている。それが選挙を通じて欧州の政治を揺り動かしつつある。フランスの大統領選挙の経過と結果(社会党候補のフランソワ・オランドが勝利)を見れば、各国民の緊縮一辺倒の政策に対する反発の強さがうかがい知れる。

ドラギ提案

そこに一石を投じたのがECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁だ。同総裁は今年4月25日に欧州議会で「今の欧州に必要なのは“成長協定”だ」と述べた。「今の欧州の危機を脱するためには財政の均衡が必要だ」としか述べないと思われていたECB総裁のこの発言には、関係者も市場も驚いた。なぜなら、「成長」のために政府に何ができるかといえば、それは普通「支出を増やす」ことだと考えられるので、「財政の均衡」とは矛盾する考え方だと思われるからだ。

ドラギ総裁は「成長協定」が何を意味するのかについては詳しく触れなかったものの、多くの関係者が考えたのは「経済の構造改革」だ。具体的には労働市場の自由化など。「政府の支出を増やす」従来タイプの成長戦略とは区別が付くので、今までの引き締め戦略とは矛盾しない。

しかしそのことと関連して、論争が起きている。まず「緊縮財政を続けるしか道はない」と依然として主張するグループがいる。彼らが主張するのは、「市場の目」だ。財政規律を緩めるような政策を取ると市場はすぐにその国の将来に悲観的になり、結果国債の利回りが上昇して、市場からの資金の借り入れができなくなる。ギリシャがこれまでたどった道だ。ギリシャは国も経済も小さいが、スペインなど欧州の主要国がそのような危機になったら、EUでも助けられない。よって、緊縮財政政策を変えるべきではない、という主張だ。

成長派に勢い

対して、ドラギ総裁が主張する「成長協定」の中身が今ひとつ分からない中でも、政策の主軸を「成長」に移すべきだと主張するエコノミストも増えている。それは今のように失業を大量に生み、欧州の人々の生活水準を引き下げる政策を続けると、欧州の政治そのものが安定感を失ったものになる。社会情勢も著しく不安定化し、ひいては経済活動の停滞にもつながる。「国民が納得できる形での“成長路線”をも織り込んだ政策に転換すべきだ」と主張している。

最近の欧州の政治情勢の激変は、この主張を後押ししているように思える。伸びてきているのは、極右だったり極左だったり。ギリシャの総選挙では極左が伸びた。その結果、欧州情勢が大きく転換してしまう危険性がある。これは欧州にとっても世界にとっても大きな問題となりうる。そのためにも今の欧州には何らかの成長路線の加味が必要だとする見方が増えているのである。

賛同者が増えている政策なのだが、ではそれを実際にどう行うかについては難しい。そもそも「経済の構造改革」にはどの国でも時間がかかる。法律を変えなければならないし、社会慣習の変化も必要になる。今の欧州の抱える景気情勢の急激な悪化という問題に早急には対処できそうもない。では財政を出動させるのかといえば、それは「ノー」だ。財政を出動し、赤字が対GDP比で増えることが分かった段階で、今の欧州リスクに敏感になっているマーケットが「国債の利回り」により高い水準を要求することは目に見えている。

ギリシャの人々と話をしていると、こうした経済政策レベルの問題とは別に、言葉の端々から「ドイツが何とかすればよい」というニュアンスが伝わってくる。今の欧州の危機によるユーロ安で一番の恩恵を受けているのはドイツだからだ、という論法だ。しかしこれにはドイツ国民は納得しない。なぜなら、ドイツがユーロ安の恩恵を受ける産業をしっかり育んだのは、「我々ドイツ人の功績なのだ」と考えているからだ。ドイツの貢献にも限界がある、と。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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