1. 金融そもそも講座

第75回「大陸的粗雑さ PART2」1970年代の米国で気づく / コモディティ化

前回の続きとなるが、“大陸的粗雑さ”にはそれなりの合理性があることを今回改めて強調しておきたい。大陸的粗雑さが持つメリットとデメリットは、現在の世界産業地図を考える上でとても重要だ。

1970年代の米国で気づく

“大陸的粗雑さ”らしきものに気がついたのは、私が米国に最初に赴任した1976年だった。米国は車がなければ買い物にも困る社会なので、赴任してまずGMの新車を買った。買ってすぐに驚いたのは、買った車のライニング(腐食・摩耗などを防ぐために用途に適した材料を張り付けること、裏張り)が、一部ずれていたり曲がっていたりしたことだ。日本ではまずお目にかかれない現象だ。決して安い車ではない。車の走りに関係するわけではないし、よく見なければ気がつかないのでディーラーには文句を言いに行かなかった。

その後に起きたのが日米自動車摩擦だ。背景はいろいろあった。1979年には第二次石油ショックがあり、米国でもガソリン価格が高騰すると同時に量も足りなくなり、ガソリンスタンドの前は長蛇の列ができた。だから自然と消費者の目は燃費の良い小型車に向いた。小型車を効率よく、きれいに造っているのは日本のメーカーだけなので、日本車がブームになった。

米国の小型車はどう見ても「もうかる大型車の付属で造っている」という印象で、出来具合も悪く、とても買いたいと思う代物ではなかった。米国のメーカーは「日本車はダンピング(不当廉価)」だとかいろいろ世論操作をしたが、日本車の米市場に占めるシェアはほぼ一貫して伸びた。

消費者としての米国人が私に何回も言ったのは、燃費の良さ以外に「日本車は仕上がりが良い」という点だ。消費者は豊かになると、同じものでも仕上がりが良いものを買うようになると理解した。その後、米国メーカーはいかにして大陸的な粗雑さを製品からなくすかに注力した。筆者の従兄弟は日本の大手自動車メーカーにいたが、生産管理分野での技術・ノウハウを買われてGMに入社した。今もデトロイトに住み同社に勤めている。まだ日本から学ぼうとしているのだ。

日本製品の躍進

自動車だけでなく洗濯機にしろ掃除機にしろ、米国の製品は大きいだけで音はうるさいし、デザインもダサイし、仕上がりもいまいちのものが多かった。だから米国ではどの部門でも性能が良く仕上がりが完璧に近い日本製がシェアを伸ばした。

米国は国土が広く、文化的伝統には欧州の色彩を濃く残している。地理的にも文化的にも“大陸”だ。日本などとは国の成り立ちが違うし、資源も豊かで、自動車のライニングなど製品におけるちょっとしたラインの曲がりなど気にしない風潮がある。それをつくる労働者も、日本人労働者のように自分がつくる製品に強い美意識を持つこともないといわれる。つまり、つくるサイドと買うサイドの要求水準がそれまでは合致していたのだ。

しかしそこに入ってきたのが、仕上がりが良い日本製品だ。最初は安さがウリだったが、すぐに仕上がりの良さやウォークマンなどの“独創的発想”に代わった。70年代、80年代における日本製品の大躍進の背景には、「大陸的粗雑さを残した製品 VS. 精密で仕上がりの良い日本製」の戦いがあり、消費者の目が肥える中で、後者の連戦連勝になった。1989年のベルリンの壁崩壊までは、世界で「消費者」と呼べる人々を抱えていたのは、合計人口が10億人の先進国(欧米、日本、豪州など)に限られていたから、豊かな、目の肥えた消費者には圧倒的に日本製がウケた。

コモディティ化

ランドスケープが変わったのは、ベルリンの壁が崩壊して市場経済の規模が10億人規模から40億人規模に拡大してからだ。年収が30万円から200万円と幅はあるが、先進国で流通している廉価製品に手が届く人々が急激に増えた。しかもこれらの人々の所得レベルは、世界的な直接投資ブーム(工場建設など)と、それに伴う製造業種の途上国への移転によって年々向上した。所得は増えつつあるが、しかしそれほど豊かでない新しい消費者が欲しがったものは、まずは価格での安さだった。それにはコストのかからない製法、大陸的な粗雑さを残しながらも一定レベルに達している製品が必要だった。

重要なのは、そうした製品を欲する消費者の数が圧倒的に多いことだ。メーカーにとって売れ行きの量は、資材調達力の差になって表れる。高い製品が少量売れても、そのメーカーの調達でのバーゲニングパワーは上がらない。こうした新しい消費者に訴求する製品をつくれるかどうかが、世界中のメーカーにとって大きな分岐点になったのだ。

製造業における日本のメーカーのパワー衰退が始まったのは、この時期と重なる。精密だが割高の製品をつくってきた日本のメーカーは、最初は新しい大量の消費者(しばしば“ボリューム・ゾーン”といわれる)の登場を見落とした。その後は、彼らへの製品供給の仕方を探しあぐねた。ここに入り込んだのが韓国や台湾のメーカーだ。

それと同時に進行したのが、デジタル技術の進歩がもたらした部品やそれぞれの製品の“コモディティ化”である。デジタル技術の進展は、安い製品に残っていた大陸的粗雑さをある程度乗り越えることを可能にしたのだ。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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