1. 金融そもそも講座

第7回「事業仕分けの意義は…」

ノーベル賞受賞者らが怒ってしまった

前回筆者は、「日本のトップ二人は理科系ですよ」との見出しで、「鳩山首相は東京大学の工学系出身であり、菅副総理(国家戦略室担当)も東京工業大学の理科系出身」と書きました。でもこの間に日本で起きたことと言えば、「政府の事業仕分けにノーベル賞受賞者が怒りの声を一致して挙げる」というまれな現象でした。国のトップ二人が理系出身で科学技術に造詣が深いはずの人たちなのに、なぜそうなったのか。

それは事業仕分けの中で、科学技術に関わるプロジェクトが俎上に載せられ、その場で関連プロジェクトの予算がばっさり切られたり、縮減の対象とされた顕著な例があったからです。これに怒った著名な科学者たちが、共同で“緊急”声明を出す事態となった。この声明に署名したのは江崎玲於奈さん(73年ノーベル物理学賞)▽利根川進さん(87年同医学生理学賞)▽野依良治さん(01年同化学賞)▽小林誠さん(08年同物理学賞)▽益川敏英さん(同)▽森重文さん(90年フィールズ賞)の6人。この声明にはiPS(万能)細胞の特許が成立した京都大学の山中伸弥教授も、「(科学予算切りで)日本の未来はどうなってしまうのか」と憂慮する考えを示し、声明の趣旨に賛同した。

今は日本中がこのことで大騒ぎになっている。実際に日本経済にとっても大問題、日本の将来にも深く影響する問題です。科学者たちの主張をまとめると概ね以下のようになります。

「人材以外に資源のない日本は『科学技術創造立国』を目指さざるを得ない」
「そのためには優秀な人材を絶え間なく科学の世界に吸引し、着実に『知』を蓄積し続けることが不可欠である」
「しかるに、スーパーコンピューターなどの重要な科学技術プロジェクトを切る事業仕分けは、『科学技術創造立国』とは逆の方向を向いている」
「このままだと日本の科学技術の能力は低下し、国の将来は危うい」

科学技術予算を監視するのは当然だが…

科学者たちの主張として「国の将来が危うい」ということは、このサイトを訪れる10代の若者(読者の方々)の将来が危ういということでもある。実は、筆者もこの事業仕分けでの科学技術予算削減例のいくつかには反対です。それは「科学技術を軽視したら、日本を支えている産業の力が将来削がれることになる」「今回の事業仕分けのいくつかの結論はその危険性をはらむ」と思っているからです。

というのも、今の日本の経済的繁栄は、中国(在米華人などを除く)や韓国が産み出すことが出来ていないノーベル賞受賞の科学技術研究者たちのこれまでの研究成果・功績、それに加えて国民の間に深く根付いた科学技術を大切にする心、さらにはその技術を製品にする技術者の力が大きいと思っているからです。それ故に、日本は戦後一貫して世界が注目する商品を造ってきた。それがなくなったら、日本は輸出する製品が著しく少なくなってしまう危険性がある。

確かに「科学技術」と分類されている予算の中にも、特殊法人への役人の天下りに関わる経費が含まれていたりする。それは事業仕分けの精神に従って削らなければならない。私は事業仕分けそのものには賛成です。あらゆる予算には議会や国民の監視の目を入れるべきで、無駄だったら削らなければならない。また省庁間で同じようなプロジェクトが重複しているケースもある。それは整理しなければならないと思っています。

しかし今回の事業仕分けにおける科学技術に対する総じて冷たい姿勢は、対応に当たった各省の担当者の説明力不足が大きいとはいえ、今後の日本の科学技術の発展にマイナスとなり、それがまた企業活動を停滞から後退に導きかねないと懸念しているのです。

実は日本は科学技術の分野で既に手痛い失敗をしている。前自民党政権下で太陽光発電に対する補助金を削ったら、それまで世界トップだったシャープの順位は直ちに低下して、その間にドイツのQ セルズがシャープを抜いて世界最大の太陽光パネルメーカーになってしまった。シャープは今、アメリカのファースト・ソーラー、中国のサンテックの下の世界第四位だ。世界の競争は激しい。

だから野依良治さんは、次世代スーパーコンピューターの開発予算が事実上凍結されたことについて、「不用意に事業の廃止、凍結を主張する方には将来、歴史の法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」と痛烈に批判した。この批判を受けて、鳩山首相や菅副総理は科学技術全般の予算に対して、「復活の政府判断あり」との態度を打ち出している。

問題は何が創造されるのか

もっとも事業仕分けは、それを担当している枝野衆議院議員によれば、「破壊と創造」の“破壊”の部分であって、まずは俎上に挙げて説明担当者(官庁の担当者)が事業仕分けの場で納得出来る説明が出来なければ、「とりあえずいりませんね」と判断を下すということのようだ。その後に政治判断があるという。事業仕分けに当たっている人たちは、そうは言っても「どのくらいの無駄を見つけられたか」が評価基準になるから、一生懸命いろいろな予算項目についてなるべくメスを入れようとする。それは理解できる。

筆者が事業仕分けを見ていて思うのは、「問題に挙げられた予算項目を少なくとももう一度考える、中味をのぞき込む機会にはなったな」ということだ。だから筆者は繰り返すが事業仕分けは良いことであり、今後も続けるべきだと思っている。仕分けの対象となったが故に、逆に「やっぱりこれは必要だ」と認識されるものも出てくるだろう。

しかし、切る、削減するにしても、仕分け人サイドに何らかの価値基準があるはずであり、それがどういう基準で設けられているのか、それとも特に設けられないで「説明者の説明能力次第」なのかという点が判然としない。スーパーコンピューターの説明に当たった文部科学省の担当者の説明はいかにも稚拙だった。

しかしだからといって、「説明が不足しているからもうこの事業は要らない、予算計上しない」ということでは、あまりにも場当たり的である。国を動かすことになった鳩山首相率いる民主党内閣が、“理想”と“思想“と“戦略”を持って「いかにこの国を良くするのか」という観点から、いったん破壊されたものの中から必要なものを組み立て、最後は世論も聞きながら、日本の将来像を“創造”する必要がある。予算を削ったあとの様々な科学技術プロジェクトがどうなり、それが今後の日本の経済競争力、国民の富の創造力にどう影響するか問うところまで考えないといけない。

発足して間もないこともあるが、この事業仕分けだけでなく様々な政策立案の過程で今の民主党政権には「最終的に作り上げる」「創造する」の部分が出来ていない。それが株式市場などがイライラを募らせている原因だが、もうそろそろ具体的に何かを動かす、生み出す必要が出てきていると考える。それが出来るのであれば、今回の事業仕分けは大騒動になったが意味はあったと言うことだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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