1. 金融そもそも講座

第191回 局面転換期の中銀政策

世界の先進国の金融政策が、大きな曲がり角に立っている。既に2015年末から様子を見ながら政策金利(FF金利)をゆっくり上げてきた米国は、今年の秋にも、超緩和期に購入した国債などの保有資産の売却に動き、マーケットから資金を吸収する方針だ。日本の出口戦略はまだ見えないが、当然今後は議論になるだろう。既に世界的に長期金利にはじわりと上昇圧力がかかっている。しかし一方で、世界的な株価上昇のトレンドは全く変わっていない。相変わらずの「上げ」だ。何が起こっているのか。超緩和措置の巻き戻し後の世界と、マーケットを取り巻く今後の投資環境を改めて見ておきたい。数回にわたってこの問題を取り上げる。

始まる資産縮小

マーケットを取り巻く環境の理解は、なかなか一筋縄ではいかない。一番典型的だったのはイエレンFRB(米連邦準備理事会)議長の7月12日の議会証言後のマーケットだった。今回の証言は、もしかしたらジャネット・イエレン議長としては最後の証言になるかもしれない。同議長の任期は2018年2月初めまで。法律に基づくFRB議長の議会証言は毎年2月半ばと7月半ばなので、イエレン議長がトランプ大統領によって再任されなければ今回が最後。その席で「4.5兆ドルにまで増えた米国債などFRB保有資産の縮小を年内、できれば早い時期に開始する」と明言したのだ。

議長は資産縮小の開始時期についてこれまでも「年内」とは言ってきたが、年の半分を過ぎて「年内、それも早い時期」と付け足した。開始時期はほぼ今年の9月に絞られたといえる。おそらく月間最大100億ドルの規模で、FRBは資産の縮小を始める。これはリーマン・ショック以降続いた「世界の中央銀行による大規模な金融緩和」を、まず米国が巻き戻し正常化、そして引き締め気味の政策に転換することを意味する。株式市場が通常は懸念する動きだ。金利が上がるからだ。

ところが議長の証言を受けて12日のニューヨークの株式市場はダウ工業株30種平均、NASDAQ、S&P500の3指数とも大幅に上昇して終えた。ダウなどは123.07ドル、0.57%上げて引値は21532.14ドルと史上最高値になった。S&PとNASDAQも大幅に上昇。S&Pは0.73%、NASDAQに至っては1.10%も上昇した。ちなみに以前IT企業を特集した際にも取り上げたNASDAQ100は、1.21%も上昇した。緩和縮小を明言したイエレン証言がむしろ歓迎されている雰囲気。

政策金利の引き上げに比べて中銀による保有資産の売却は、実際にマーケットから資金を吸収するという意味では、よりパワフルな緩和解除の動きといえる。それでもニューヨーク株は史上最高値を更新し、売られてもおかしくない債券相場まで買われて長期金利は下がった。一筋縄ではいかない、と書いたのはこのことを指す。

欧州などでも出口論

実は「超緩和の解除」に向けた動きは欧州、英国、カナダなどでも始まっている。それぞれの中銀トップの口から「(緩和政策からの)出口示唆」の発言が相次いでいるからだ。出口といえば今まで世界の目は米国に集中していた。しかしその他の多くの中銀も緩和の縮小を検討しているのだ。他の中銀の出口はもっと先と、マーケットは見ていたが、突然いくつかの中銀からその示唆が出たため、6月末から長期金利の上昇ムードががぜん高まった。

マーケットを一番驚かせたのはECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁だ。「ECBはユーロ圏の最近の景気回復に合わせて金融政策を微調整するかもしれない」「欧州でのデフレ圧力はインフレの力に置き換わってきた」「ユーロ圏の物価の伸び悩みは一時的なもの」などと発言。彼は今後の政策運営に関して「微調整(tweaks)する」と言ったのだが、マーケットは微調整では済まず、債券相場は大きく売られ長期金利は米国を含めて上昇した。その余波は日本にも到達した。日本の長期金利の上昇が久しぶりに新聞記事になったことを覚えている方も多いだろう。

これらの発言にマーケットは驚いた。欧州は景気低迷が深刻だと思われていたからだ。南欧(イタリア)出身のドラギ総裁にしては予想外の発言ととらえられた。ドイツなど北欧諸国では「ECB緩和の早期縮小論」が強まっていたので、ドラギ総裁が北欧諸国の主張にくみしたのではないかとの見方も出た。しかし実際には、徐々に南欧諸国の経済状態、雇用情勢も改善の兆しがあり、緩和縮小に障害と思われていたイタリアの銀行問題にもある程度片が付いていた。それに着目した人が少なかっただけだ。

イングランド銀行(中銀)のカーニー総裁も、その直前までの「(緩和解除に関して)今はその時期ではない」との主張をひっくり返して、「もし英国の経済活動が今より活発化すれば、金利を引き上げる準備がある」と述べた。つまり世界の主要国で既に超緩和からの「出口」が具体的に語られ始めているのである。これが日本に影響しないはずがない。

taper tantrum

では世界的に本当に長期金利の上昇局面が始まったのか。それは株価にとっては良くない筈(はず)だ。ところが、イエレン議長の議会証言でむしろ長期金利は低下という事実が生じた。12日の米債券市場の10年債の引けは、利回りで2.32%。前日の2.38%近くから大幅に低下した。米長期金利にとって一つの目安である2.50%に接近する前にしっかりと低下したのだ。

米国の債券市場で使われる言葉に「taper tantrum(テーパー・タントラム)」がある。tantrumとは要するに癇癪(かんしゃく)だ。引き締め(taper)という懸念が高まったときに、あたかも債券市場が癇癪を起こしたように相場崩れを起こし、利回りが上昇する事態を指す。むろんそれが癇癪(普通は一時的だ)であったかどうかの判断は事後的だ。

そしてこれを書いている日本時間13日現在の私の感触からすれば、6月後半から7月初めに見られた債券相場の崩れはtaper tantrumだったように思える。なぜなら債券利回りはイエレン議長の保有資産縮小開始宣言を受けて低下し、逆に株価はダウの史上最高値で明らかなように上昇したからだ。

ではなぜFRBによる保有資産の縮小という引き締め措置を目前に控えても金利は持続的上昇を拒否し、これを好感して株価は上昇したのか。それは低成長・低インフレが定着した今の世界では、同じ金融引き締めでも過去とは内容が違うからである。過去の米国(アラン・グリーンスパンFRB元議長の時代)では、引き締めといえば毎FOMC(米連邦公開市場委員会、年8回)での0.25%のFF金利の引き上げが普通だった。しかし今の引き締めは2015年末に1回、2016年末に2回、そして今年上半期に2回といった間合いのあるペースだ。

では次はいつか。9月に資産縮小をするのでしばらく利上げはお休みというのが、イエレン議長はじめFRBの高官たちの考え方のようだ。その背景には前々回取り上げたように賃金が上がらずインフレ率も上昇しないという環境がある。

今回のイエレン議長の議会証言で非常に明確になったのは、インフレが進まないのは「transitory(移行期)的現象」という従来の考え方を引っ込めたように見えること。失業率が下がっているのに労働賃金が上がらないこと、それに伴ってインフレ率が高くならないことに対してFRBとしての「もっと構造的な要因があるのでは」との認識の芽生えも、そこには感じられた。

もしそうだとすると、年内にもう一度予定している利上げはないかもしれないとの見方が出てきてもおかしくない。実際にその観測が強まったからこそ資産縮小のインパクトを早々に消化して債券利回りは低下し、株価は上値を追った。つまり今のマーケットは過去とは極めて異なるルートを歩いているということだ。

しかし重要なのは、9月に保有資産の縮小が始まれば、それはやはりリーマン・ショック後の世界の中銀にとっての大きな方向転換、展開局面といえることだ。そこには常に不確定要素がつきまとう。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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