1. 金融そもそも講座

第179回 進むパラダイムシフト その先にあるものは

「パラダイムシフト」という言葉をご存じだろうか。英語でparadigm shiftとつづるが、意味合いは「ある時代や分野で当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的・劇的に変化すること」を指す。もともとは米国の科学史家トーマス・クーンが科学革命の分野で用いた言葉らしいが、今ではそれが拡大解釈されて一般化している。

今そのパラダイムシフトが様々な分野で進んでいる。経済に対する考え方、マーケット、そして政治・外交で。それは人々の気持ちをインスパイアー(活気づけ)することがある一方で、シフト(変化)の先に懸念が募れば人々もマーケットも不安になる。今回と次回はこの問題を取り上げる。

ひっくり返しの世界

それはまるで漫画のような世界だった。中国が米国に対して貿易政策で説教を垂れたのだ。保護貿易はいかん、と。今まで世界に対し自由貿易を説き続けてきた米国に対して。説いたのは習近平国家主席だ。WTO(世界貿易機関)で“市場経済国”の認定も受けられなかった国のトップ。初めて出席したダボス会議の場で「保護貿易主義は誰の利益にもならない」と発言したその視線の先は、米国第一主義のスローガンの下で露骨な保護貿易主義的政策を掲げるトランプ新大統領。つい昨日までは想像もできなかったひっくり返り、立場の入れ替わりだ。

なぜパラダイムシフト=ひっくり返りが生じたのか。それは今まで自由貿易、市場経済、グローバライゼーションは必然・繁栄の道と唱えてきた米国、さらに言えばアングロサクソン仲間の英国が、国内政治圧力に勝てなかったからだ。多くの自国民に自分達にとってメリットなしと突き付けつけられた。民主国家においては一定年齢に達した全ての国民が投票権を持ち、多い方が勝つ。それが選挙=政治だ。

故に、米国は隣国メキシコなどを顧みない自国第一主義のトランプを選び、英国はEUからの離脱の道を選択した。今まで世界に説き、あるときには強引に推進してきた主義主張・立場を一変させたのだ。むろん米国のトランプ大統領と、国民投票で離脱の道を選ばざるを得なかった英国のメイ政権では微妙なニュアンスの違いがある。しかし今までの立場・スタンスの大転換に違いはない。

そこで焦ったのが中国、という構図。米国の貿易赤字の4割以上は対中国で生じている。つまり中国サイドの黒字だ。その米国がトランプ流の自国第一で保護主義に傾けば、中国は貿易黒字急減→国内経済の悪化→社会問題の発生→政権への不信へとつながりかねない。

自由な市場・公正な貿易では世界の優等生には決してなれない中国が、米国のトランプ流を指弾するのは滑稽。しかし現実に立場の逆転が起こってしまった。ダボス会議で習近平がその発言をした時に、会場から拍手が聞こえた。それは事実だ。戦後世界を支配してきた思潮――自由貿易、グローバライゼーションなど――が、その伝道者達によって打ち捨てられた。世界がそれを懸念する。

トランプ大統領は、個々の企業の投資判断にも容喙(ようかい)するという、歴代大統領になかった行為も繰り返している。これもある意味、自由な経済、企業活動の自由という考え方に対するひっくり返しだ。

政策バランスが変化

それは経済政策に関する考え方でも生じている。ついこの間までの世界の知恵は、「財政は各国で厳しい。であるが故に各国経済を支える政策は金融政策しかない」というものだった。その考え方に基づいて米国、日本、そして欧州で超金融緩和が実施されてきた。人口が増え続け、経済システムの柔軟さ故に起業も活発な米国は、いち早く低インフレ・低成長・低金利の三低から脱しつつある。しかし日本と欧州は依然として主な経済政策を超緩和の金融に依存している。

しかしトランプ大統領が選挙中に掲げた「巨額なインフラ投資」が、株式市場で大受けした。株価を米国市場で10%以上押し上げのだ。その頃から、金融政策への過度な依存は間違いだ、財政にも出番を与えなければ経済は成長力を取り戻さない、という風潮に変わってきた。これは経済政策バランスに関する考え方のひっくり返しだ。

むろん背景はある。日本や欧州ではこれだけ超低金利を続けても、成果はデフレには陥らなかった、あるいは、わずかに成長率が上がった程度の消極的なものであり、超緩和の効果はあっても微々たるものという考え方が広まりつつあった。だったらもう一度財政に出番を、という考え方が生まれる環境は整っていた。

日本でも、長短金利操作付き量的・質的金融緩和策を進める黒田日銀総裁に対する期待は大幅に低下し、財政への期待の方が高い。多くの企業が潤沢に内部留保を持つような時代には、金融緩和で企業がお金を借りて事業を拡大すると期待する方が無理なのだ。低金利で住宅ローンは借りやすくはなるが、家計が負債を増やすのもどうか。要するに金融緩和の経済成長への貢献度は、成長期経済の時よりかなり落ちている。政治家が約束できる成長はやはり財政から、という判断が世界的に強まりつつある。

もっとも、それでは財政赤字がもっと増えてしまうとの見方はある。対しては、経済成長の加速が税収の増加をもたらすというのが代表的な反論だ。アベノミクスでも当初税収が大幅に増えた。しかし持続性はどうか。トランプ流のインフラ投資は、deficit-neutral(財政中立)をうたっている。つまり財政赤字を増やさずにということだが、具体的政策の中身待ちだ。

期待と、不安と

パラダイムシフトは要するにひっくり返しだから人々の頭には新鮮だし、マーケットはインスパイアーされる。従来の政策が成果を出せないことから来る閉塞感を打ち破り、それによって新たな展開、新たな成長、そして新たな希望が生まれるからだ。閉塞感が続いた後ほど、パラダイムシフトへの期待は強い。世界的な先進国人口の頭打ちやテクノロジー転換の一巡感などから、つい最近まで強かった世界経済を覆う、どんよりとした空気を、トランプ大統領は(良く言えば)斬新な発想で吹き飛ばした。

英国のEU離脱も、移民の流入によってその先行きが懸念されるに至ったEUに、新たな展開の可能性を示唆するものだ。それ故にメイ首相が単一市場からの完全離脱を宣言したときに、同国通貨ポンドは大幅に反発した。これも予想を裏切る動きだった。世界は新たな展開を希求しているように見える。

何度も指摘している通り、今年はオランダ、フランス、それにドイツで国政選挙が予定されている。もしかしたら事前に予想された結果ではなくても、マーケットはそれを新たな展開と見なして好感するかもしれない。英国のEU離脱やトランプ勝利がそうだったように。

ただし、次のような視点も必要かも知れない。それは「パラダイムシフトが完全にひっくり返しに成功する例は少ない。完全な失敗に終わることもあるし、部分的成果は出すが、高い期待を裏切ることが多い」というものだ。

世の中の流れは大きな川の流れのようなものだ。多少抗っただけでは変わらない。川の流れそのものが逆流するようなマジックはない、というのが事実だ。例えば今の世界貿易の流れそのものを止めるのは、世界窮乏化への近道だ。だから「米国第一主義」といっても、できることは限られていると見ることもできる。それを余りにも追求すれば弊害が米国経済に及ぶ。

この原稿を書いている1月中旬のマーケットの雰囲気をいえば、今世界で起きているパラダイムシフトに気持ちをインスパイアーされたが、その一方でシフト(変化)の先に人々もマーケットも懸念・不安を強めている、というところだろうか。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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