1. 金融そもそも講座

第165回 英国のEU離脱、その衝撃(前編)“まさか”に動揺 / 残る不確実性

僅差ながらEU離脱を決めた英国の国民投票(6月23日)の結果とその背景、考えられる影響について3回にわたって取り上げる。
直前の情勢は流動的だったが、マーケット関係者の見方は「シティを抱える英国がEU離脱などという結論を出すはずがない」というのが大方だった。一種の暗黙の了解だ。しかし結果は離脱賛成が52%、残留は48%だった。真っ先に筆者の頭に浮かんだのは、先輩から教わったマーケットのある格言だ。「株式市場には3つの坂がある。“上り坂” “下り坂”そして“まさか”だ」

“まさか”に動揺

まさかにマーケットは動揺する。残留でポジションを張っていた人はそれを巻き戻すし、今後の世界にとって極めてまずいと判断する人はリスク回避のシナリオで資金を動かす。結果は世界各地の株式市場で2営業日ほど続いた「売りの波」。その間失われた時価総額は330兆円と推定される。これはドイツの年間GDPにほぼ等しい。

為替市場ではポンド安、ユーロ安が誘発され、買われたのはドルや円、そしてスイスフランなどのリスク回避通貨だ。スイス国立銀行はフラン売りの為替介入を実施した。株が売られたのと反対に、買われたのは先進国の国債と金(ゴールド)。それは概略的図式で、詳しく見るとポンドは対ユーロでより売られた。つまりポンド安・ユーロ高。日本株の中でも「英国を含む欧州との取引関係がより深い会社の株」が売られた。

まさかとは、今までの常識が打ち砕かれる際に人間が持つ感情だ。英国人がEU離脱などという判断を下すはずがない、という常識は打ち砕かれた。加えてマーケットを不安にさせたのは、これから英国は、EUは、そして世界はどうなるのかという疑問だ。答えがすぐには見つからなかったし、今でもそうだ。

英国では戦後、保守党と労働党という二大政党制が続いたが、今やそれはガタガタになった。国民投票実施を決め、残留を支持しながら負けたキャメロン首相が辞めるのは当然として、次に国を率いる政治家の選任は格段に難しい。誰がなろうと、国論が二分された後の国家統治は困難が予想される。

今後のEUについては、英国に追随する国が出ないか心配だ。反EUの世論はフランス、オランダ、イタリアでも、そして北欧諸国でも強い。戦後60年も続いた欧州統合の動きが止まり、むしろ解体に向かうかもしれない。としたら内向き志向を強める中で世界はどうなるのか、中ロが覇権を伸ばすのか、懸念が次々と浮かぶ。

頭をよぎった世界への波及

多くの人は米国に目を向けた。英国の反EUの波には、米国の大統領選挙で吹き荒れている二つの旋風と共通項があった。さっそく既存秩序崩壊の臭いを自分にとって有利な材料と敏感に嗅ぎ取ったのは、共和党の大統領候補になるドナルド・トランプ氏だ。24日にスコットランドで自分のゴルフ場のオープンに立ち会った際、「英国はEUから独立し、政治や国境、経済を取り戻した。英国で起きたことは米国でも11月に起きる。11月の大統領選で米国民は再び米国が独立を宣言し、世界のエリートによる今日の支配を拒否する機会を得るだろう」と声明を出した。マーケットが懸念を深める警告だった。

対して民主党のクリントン候補は、「英国民が下した選択を尊重する。こうした不確かな時代だからこそ、米国民の家計と生活を守り、同盟・友好国を支援して敵に立ち向かい米国の利益を守るため、ホワイトハウスには冷静で安定し経験のある指導力が必要だ」と冷静にコメントした。しかし、自分の選挙運動にメールアドレスを登録した支持者に対しては「専門家が何と言おうと、ドナルド・トランプが11月まで続く選挙戦で勝利する現実的チャンスはある」と皮肉も交えて警告した。英国のEU離脱は世界を震撼させたのだ。

少なくとも欧州連合の一員としての英国、EUの決定におおむね従う英国という我々が慣れ親しんだ秩序は崩れた。6月29日の欧州首脳会議二日目は英国抜きの27カ国での開催だった。離脱に賛成票を投じた人のかなりの部分は後悔しているそうだが、再度の国民投票はまずないだろう。

もっとも、英国の国民投票から3日後に行われたスペインの総選挙では異なった図式が見える。EUの厳しい緊縮政策に強く反対する左翼政党ポデモスは、現状維持にとどまった。英国のEU離脱決定後に世界のマーケットが荒れたのを見てスペイン国民はポデモスへの支持をためらったのではないかとの見方もある。しかしポデモスは退潮したわけではない。米大統領選挙もトランプのあまりもの舌禍で、今はクリントンが有利だ。しかし今後の情勢推移に予断は禁物だ。

残る不確実性

国民投票の翌週半ばになって、混乱は少し和らいだかもしれないとの印象が出てきている。世界的に株価は半値ほど戻した。どんな不安なことがあっても、マーケットは時間の経過とともにその不安と折り合いをつけ、材料を織り込み、それを所与の事として相場を形成する。所与の事とは「英国政治の混迷持続」「EUと英国との定まらない関係」「テロが頻発する不安定な世界」といったところだ。

どう考えても英国の混迷は続く。保守党、労働党とも亀裂が入った。幾重にも。議席数から見れば保守党が9月の初めまでに新しい首相を選出する。しかし離脱派の筆頭だったボリス・ジョンソン(前ロンドン市長)には、残留派から強い拒否感が出ている。発言を遡ると彼はそもそも残留派だった。イートン校、オックスフォード大学の後輩、キャメロンの向こうを張って次の党首の地位を狙った故に、党内基盤確保のために離脱派を選んだとの見方も強い。保守党の中ではABB(Anybody But Boris)という単語がささやかれる。意訳すれば「ボリス以外なら誰でも」となる。労働党ではコービン党首に対する風当たりが強い。残留で十分な運動をしなかったと。今の英国は「指導者なし(leaderless)」と言われる。

EUと英国の関係も手探りだ。英国は単一市場(EU)にはこれまで通りアクセスし、面倒な規則や域内での移動の自由(東欧などからの移民問題に関連する)からは逃れたいと望む。しかしメルケル独首相は「いいとこ取り(cherry-picking)は許さない」と強調する。当たり前だ。英国にそれを許せば多くの国が離脱の道を選び、EUは崩壊する。そんなことをドイツやフランスが許すはずがない。両国は「単一市場に参加するなら、英国は義務を果たせ」と強調する。つまり英新首相にとって対EUでの離脱交渉は極めて難しいものになる。

折り合いを付け、織り込もうとしても残る不確実性は山のように残る。やや落ち着いても不安感は消えない。それが今のマーケットだ。(

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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