1. 金融そもそも講座

第152回「米国、2016年に向けて利上げ」

米国の金融当局が2016年に向けて「金融政策の大きな変更=利上げ」にかじを切ったので、中国に関する連載を休んでこの問題を取り上げる。と同時に、申(さる)年を少し占ってみようと思う。米国のゼロ金利政策はリーマンショック後の08年の末から7年も続いていた。前回FRB(連邦準備制度理事会)が利上げをしたのは06年の6月。それから実に9年半ぶり。長く続いた一定の状況を動かすのは力がいる。そもそもその状態(超緩和)があったからこそ安定が保たれていた面もあったからだ。それをあえて揺さぶるわけだから、FRBの措置は日本を含む世界の経済にとっても大きな実験だ。

誘導目標を0.25%引き上げ

12月17日の日本時間午前4時に発表されたFOMC(FRBの公開市場委員会)の声明は、「(銀行間取引レートである)FF金利の誘導目標を従来の0.0〜0.25%から0.25%〜0.5%に引き上げる」という中身。20年前の人に、「これが米国の政策金利変更の中身です」と言っても恐らく信じてもらえないだろう。誰が見ても、実に目を疑うような低い水準での金利変更だからだ。

思えば長い道のりだった。9年半前の利上げは「0.25%引き上げて5.25%に」というもの。06年6月29日のことだ。実はFOMCは04年の6月から連続して毎回0.25%の利上げをしており、それが最後の17回目の利上げだった。5.25%と聞けば「金利らしい金利だ」と思う人も多いかも知れない。我々の記憶には金利といえばそれほどの高い水準が記憶の中に刻み込まれている。バーナンキ議長の時代だった。

それが1年3カ月続いて、下げに転じたのは、翌07年の9月18日。米国の住宅不況が徐々に鮮明になり始めた時期で、利上げ理由は「住宅不況の悪影響を未然に防ぐ」というもの。その後は不規則なのこぎりの刃のような形で米国の金利は急速に引き下げられた。08年の3月にはFRBの要請でJPモルガンがベア・スターンズを買収。住宅不況が証券界に飛び火したことが鮮明になった。

そして同年9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻と続く。危機発生の悪しき号砲だった。当時六本木ヒルズに入居していた同社の日本法人も、時を置かずして消えた。世界的不況に発展。米国が実質的ゼロ金利政策(FF金利の誘導目標を0.0〜0.25%に設定)を導入したのは08年の12月。それからずっとゼロ金利政策は続いてきていた。それでも足りずに非伝統的な量的金融緩和(QE1、QE2、QE3など)を大規模に行ったのはご存じの通りだ。

強さ戻った米国経済

ではそれほど続いていた超緩和金融政策をなぜ動かしたのか。それはひとえに米国の経済情勢が良くなり、超緩和を続けることは将来の米国にとって好ましくないとFOMCが判断したからだ。米雇用情勢は09年から10年にかけて最悪期には失業率10%という二桁に達した。それが直近ではちょうど半分の5%に低下。米国では完全雇用状態といわれるタイトな状況で、労働者雇用の動きが強まれば賃金インフレさえ起こりかねない状況だ。

主要な経済指標を見ると、経済の7割を占める消費が強い。雇用環境の改善に敏感に反応している。代表的な消費財である自動車は、直近では通年換算で1,800万台も売れて、危機以前を上回った。米国では、雇用に自信が持てれば消費者は活発に買い物をする。前回の危機を招いた住宅市場を見ても、S&Pケース・シラーなどの価格指数を見るとかなり強い。FRBに課せられた使命は最大雇用と物価安定だが、その前者において目標を達成した。「後は労働の質がもっと高くなれば」(イエレン議長)という状況だが、それはFRBの直接的な政策変更要因ではない。

物価安定に関しては「2%の消費者物価上昇」を目標にしている。こちらの方はまだ達成されていない。1%を上回った水準にとどまっている。今回のFOMCは声明で「今のインフレ率低下は一時的。エネルギー価格の下げが正常に修正されれば、米国のインフレ率は2%に戻る」と言っている。その上で「こうした環境下では利上げを遅らすことにリスクがある。遅らせれば実際にインフレ率が上昇し始めた時、足早な利上げにせざるを得ず、それは経済を急激に冷やしかねない」と述べ、やや予防的意味合いから今回利上げに踏み切ったと説明した。

ハト派的利上げ

今回の7年ぶりの利上げにぴったりの言葉がある。それは「Dovish Hike」、つまり「ハト派的な利上げ」というものだ。利上げに関わる一般的な印象は「景気を冷やす(目的)」というものだろう。しかし今回の利上げにはその意味合いはないといえる。そもそものスタート台が金利ゼロだったので、「5%の政策金利を5.25%に引き上げた」という時の利上げの意味合いとは全く違う。正常な姿にほんの少し戻したという状況だ。イエレン議長は、利上げ声明発表後の記者会見で繰り返し「(今回の利上げをもってしても)米金融政策は極めて緩和的」と主張した。だから「ハト派」なのだ。

今後はどうなるのか。FOMCは声明でも議長の記者会見でも同じ単語を何回も使った。それは「gradual」(段階的に、徐々に)だ。つまり今後の利上げは慎重に、経済統計を見ながら段階的に、徐々にやると強調。なぜか。それはまだリスクがいっぱい残っているからだ。原油価格はまだ下がるとの見方がある。新興国の経済鈍化を背景とする需要減や、シェール・オイル、自然エネルギーの生産増によって2%の物価上昇目標が本当に達成できるかは不明だ。議長は繰り返しドル高にも触れた。心配しているのだと思う。ドルが強すぎれば米国経済の足を引っ張る。

米国の超金融緩和が7年間も続いたことにより、世界の隅々に「緩和マネー」が浸み込んだ状態になっていたのも懸念材料だ。7年は長い。あって当然のマネーが米国に還流したら、大きな打撃を被る国やマーケットは出てくる。既に格付けの低い債券市場は不安定になっている。いつ「危機のボタン」が押されるかもしれない。

16年はそのリスクと向き合わねばならない。今の危機は一瞬にして世界に伝播する。「段階的に、徐々に」という大きなシナリオの中で、16年の利上げはあっても年間4回と見られる。その通りなら来年の今頃の米政策金利はほぼ1.5%に達する。歴史的にはまだまだ低いが、ゼロから1.5%近傍への上昇は市場環境を大きく変える。

日欧は超緩和政策を続けるだろう。しかし繰り返すが、流れ出ていた流動性マネーが米国に戻るプロセスはスムーズには進まない。ドル建ての債務もたまっている。問題はリスクをいかに未然に防ぎ、発生しても抑え込めるかにかかっている。心強いのは米国経済の堅調で、16年はその維持のためにもFRBには難しい舵取りが求められる。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から2週間程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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