1. 金融そもそも講座

第113回「常なる頭のリフレッシュ」

市場を見ている人間として必要なのは「常なる頭のリフレッシュだ」と最近改めて強く思う。経済やマーケットについて「過去はこうだった」という話を持ち出す人は相変わらず多い。エコノミストの中にはもう随分前に構築された経済理論を、そしてチャーチストは大方において「過去の相場との類似点」を持ち出して“現在”を語り尽くそうとする。むろん筆者も過去やそれに培われた知識は重要だと思う。しかし経済やマーケットは常なる環境の変化(テクノロジー、人々の価値観、生活スタイル、美意識など)の中にいる。だから絶え間なく姿と原理を変えるのだ。経済やマーケットに携わる我々も、それに応じて常に頭をリフレッシュし、「自ら時代と生きる覚悟」をしないといけない。

二つの具体例

そもそも経済やマーケットの予測がなぜ難しいかといえば、それが決して過去の繰り返しではなく、常に新しい要素、動きを持ち込むからだ。話を抽象的にしないため、今回は二つの具体例を挙げる。一つは今年(2014年)4月の米雇用統計、もう一つは4月からの日本の消費税引き上げとそれに伴う小売り環境の変化。ともに私が非常に強い興味を持った問題だ。

まず5月早々に発表された4月の米国の雇用統計。「ものすごく」という表現が大げさではないほど良く、米国経済の強さを感じさせる統計だった。いつも注目される非農業部門の就業者数の増加幅は、実に「28万8000人」に達した。通常、米国では毎月の同就業者数の伸びが20万人前後になれば「米経済の健全さの証明」と受け取られる。4月は予想の段階から「もしかしたら22万人ほどにも」といった強気の予想が出ていたが、実際に労働省から発表になった数字は、マーケットも驚く強さだった。

加えて家計調査に基づいて算出され、政治的には重要な意味を持つ失業率統計は4月に6.3%になった。3月が6.7%だったから驚きの低下ということになる。この低い失業率は08年9月以来の低水準だ。この統計を受けて日本を含む世界中の新聞には「米経済、力強い拡大へ」とか「米経済、雇用の伸びは順調」といった見出しが踊った。

しかしこの強い統計発表後に、実は米国の金利が特に長期で大幅に低下したのである。これは過去の経済の常識に照らせば驚くべきことだ。経済が強く働く人が増えれば所得が、そして需要が伸び、その需要がモノの値段を押し上げ、生産活動も活発になって労働力不足になる。そしてインフレ圧力が高まり、金利が上昇するというのが“常識”だったからだ。

むろん「4月の雇用統計は強い」と誰もが思っていて、それに応じて様々な形で「債券の売り」のポジションを市場参加者が持ちすぎていたことがあるかもしれない。それは過去の経験からすれば妥当なポジショニングだ。しかし実際には“過去の常識”とは全く正反対の「金利低下」が起きた。

駆け込み・反動?

次に4月からの日本の消費税引き上げ。マスコミもさんざん「3月の駆け込み需要・4月の反動」を予想、報道した。実際はどうだったのか。確かに金額が張る自動車や住宅関連では前回(97年)の引き上げ時と同じような「駆け込み・反動」が見られた部門もあった。しかし事前に言いはやされた予想に反して、多くのセクターで反動ははるかに小さかったと見られている。観光は落ち込みが少なかったし、タクシーは運転手さんの話を聞いてもよく稼働し、飲食店も良いところが目立った。

ハイエンドな消費が展開するデパート業界では、興味深いトレンドが見えた。それは宝石や婦人ブランド服の不調などで前回並の10数%の反動に見舞われたデパートグループが多かった中で、伊勢丹や三越を傘下に持つ三越伊勢丹の4月の売上高(速報、外商を除いた既存店ベース)が前年同月比7.9%減にとどまったことだ。よく健闘したといえる。しかも重要なのは、三越・銀座店の4月の売り上げが前年同月比1.1%も増えたことである。「消費増税どこ吹く風」だったのだ。

当然のように語られ、言いはやされた常識、予想が裏切られた二つの例を、米雇用統計とマーケットの反応、そして日本の消費税引き上げとその後に見た。「なぜそうなったのか」を詳細に書こうとすれば長大な論文となるだろう。重要なのは「常識と違うことが常に起きている」ということを自分の中で認めることだ。「今までと違うこと」「過去には例がなかったこと」を頭から排除してはいけない。「経済やマーケットは変わってきている」「なぜ変わったのか」を考えることが必要だ。

視点の変化

読者がこの原稿を読み終わってもまだ大きな「?」が頭の上に付いていてはいけないので、簡単に「二つの非常識がなぜ起きたのか」を書いておく。米雇用統計後の金利低下については以下のようなことが徐々に明らかになってきている。

  • 1. 大幅に雇用が伸びているのに、賃金は全くと言ってよいほど伸びなかった
  • 2. その背景には労働市場の国際化、工場現場での技術革新など、優れて今日的な背景がある。改めてディスインフレ圧力の強さが認識された

今の米国経済には過去に見られた強さと、過去には見られなかった弱さが“同居”している。我々が戦後培った常識の範囲を逸脱して経済もマーケットも動いているのである。

消費税が上がったのになぜ三越・銀座店の今年4月の売り上げが昨年同月を1.1%上回ったのかについては、同社では次のように言っている。

  • 1. 婦人服や紳士服が堅調だったほか、訪日外国人による免税売り上げが93%増と大幅に増加したことが寄与した
  • 2. 免税売り上げが売り上げ全体に占める割合は10%程度と、初めて2桁台に乗せた

銀座という場所の特殊性はあるが、「海外観光客の消費」が日本のデパートの小売り統計を大きく動かすほどの規模になってきているのだ。過去にはない例だ。確かに行けば分かる。銀座を歩き、そのど真ん中にある三越に入ると、本当に外国人が多い。

かつ三越伊勢丹全体の「増税後の対策」は、他社とは違って商品の独自性にポイントを置いたものだ。価格ではなく、それに成功したことが興味深い。消費税の引き上げは消費者にとってはもっぱら「価格要因」だが、三越伊勢丹の健闘は消費者の視点が以前いわれたほど価格要因に縛られていないことを意味している。つまり独特な店づくり、品ぞろえなどの独自性。「消費者の相対的な価格離れ」は経済の他の部門、例えば観光業などを見るときにも重要だ。

実際に新宿東口の伊勢丹に行けば「消費の楽しさ」「商品の魅力」に気づかされることが多い。それは飲食、観光などの分野でも重要な要素だ。つまり、マーケットでも経済でも「過去の方程式」を忘れること、頭の中で切り替えを行うことが大切なのだ。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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