1. 金融そもそも講座

第108回「勇敢、それとも臆病?」

前回の続きである。「投資マネーとは経済やマーケットを時にかき乱す勇気あふれる存在なのか、それともとても臆病なものなのか」という問題だ。今年(2014年)初めの途上国市場における混乱のプロセスでも、「途上国を追い詰めた投資マネー」という“攻め”とも取れる側面と、途上国経済の悪化予想故に「“逃げ”に回った投資マネー」という二つの側面があると受け取れる。どちらが本質なのか。それを知ることは、きっと読者の今後の投資行動に役立つだろう。

投資マネーとは

そもそも投資マネーとはどんな「お金」なのか。それは日々の生活に使う以上のある程度まとまったお金で、株式市場など各種市場に出てくるお金とくくることができると思う。貯蓄がなく、給料などでもらった毎月のお金をそのまま使っている人は「投資マネーを持たない人」だ。実はこういう人が世の中には多い。社会的、政治的にはこのことはとても重要で、「株価の上昇は格差を広げる」という批判につながることもある。

日々の生活に使わなくてもよいお金を持っている人は「投資マネーを持っている人」ということができる。それは親からの遺産でもよいし、宝くじに当たったからでもよい。むろん毎月こつこつ貯めたお金でもよい。子供の教育資金、自分の老後資金など、予見しうる将来に必要とされるお金を含めて、「今動かせるお金を持つ人」が投資家の資格を持つ。これらの人々は「個人投資家」と呼ばれる。タンス預金ではなく、貯金でも、株式投資でも「稼働しているお金」は投資マネーといえる。

ただ、自分で投資対象を選べる人は実はそれほど多くない。「日々忙しいし、もっと専門家に任せて余ったお金を運用したい」という人が多い。そうしたお金は銀行や証券会社などを通じてまとまった形で運用会社(機関投資家と呼ばれる)に預託される。そこにはファンドマネージャーと呼ばれる人々がいて、彼らが動かすのも投資マネーである。個人投資家が動かせるお金よりもはるかに規模は大きい。多くの人のお金が集まっているのだから当然だ。「ヘッジファンド」と呼ばれる存在はご存じだと思うが、彼らは敏速に、そして国境をまたいでお金を動かす。

増えなくてもよいお金

しかし筆者は世の中には、この一般的にいわれる投資マネーの上を行くお金があるといつも思っている。投資マネーは「何とか増殖したいお金のプール」だといえるが、実は世の中には巨額の富を持っていて、「減らなければよい」という種類のお金もたくさんある。王侯貴族、世界的な大金持ち、特別な資産家が持つお金は、世の中に批判されるほど増えなくてもよい。むしろ静かにしていたい。なぜならもうたくさんあるからだ。その辺の感覚は一般人とは違う。

だからこうした「投資マネーの上を行くお金」にとっては、「当局による予想外の措置」が一番怖い。社会主義革命による預金の接収、キプロスであった預金凍結などが代表的なものだ。この種のお金は実に大きな規模で存在するので、その動向は注視しておく必要がある。いつもは静かだが、時にヘッジファンドより機敏に動くケースもある。それは上がる下がるという以上に、世界の政治情勢や社会情勢に敏感だからだ。

こうした背景があるので、筆者は昔から投資を考える場合には「自分が大金持ちだったら何をするか」と想像することが常に必要だと思っている。それで初めて大局が見える。金融市場を大きく動かすのはヘッジファンドを含めて、そうした「大きく動かせる資金のプールを持つ人」だからだ。

もっとも「人様から預かっているお金」を動かしているファンドマネージャーといわれる人には窮屈なことがある。それが「期間損益」だ。個人で株式投資をしている分には、別に「いつ損益を出さなければならない」というルールはない。塩漬けも可能だ。勝手にやればよい。しかしファンドマネージャーは「どのくらいのお金を預かり、一定期間(半年とか1年間など)にどのくらいの利回りを上げたか」を問われ続ける。それぞれのファンドマネージャーによって「締めの月末」がある。成績が悪いと給料を少なくされたり、場合によっては解雇される。その意味で彼らは個人投資家にはないプレッシャーの中で仕事をしている。投資を考える場合には彼らが受けているプレッシャーとその出口を想像することも必要だ。

基本は臆病

人的ファクターを頭に入れた上で、長年マーケットに携わってきた筆者のかねてからの持論を披露すると、「投資マネーの本質は“臆病なもの”」だと思っている。なぜならそれはなくなったり、減っては困るものだからだ。自分が当面使う以上のものであるにしても、それがお金を持つ人の安心感だったり、自慢だったり、そして将来の夢(子供の教育、マイホームを持つ、旅行に行く)の源泉だったりする。なくなっては困る。誰にとってもそうだ。だから基本的には「守り」が投資の本質で、「臆病で、経済情勢の変動におびえている存在」という捉え方が正しいと思う。

個人の投資家であれ、機関投資家に所属するファンドマネージャーであれ、自分に対して許しがたいのは「損を出す」ということだ。投資とは自分の資産や預かり資産を増やすためのものだから、結果がその逆になるのは許しがたい。それは個人投資家の場合は自分の財産の目減り、機関投資家のファンドマネージャーの場合は組織内における自分の成績の低下を意味する。

ではなぜ「投資マネーが世界経済をかく乱している」といった書かれ方をするのか。それは、実体経済の規模に対して投資マネーの規模が過去にないほど拡大しているからだ。米国によるドルの垂れ流しや世界的な金融緩和の結果であり、その規模は膨大だ。それが動くと、企業経営や雇用状況に大きな影響、時に壊滅的な打撃を与える。最近ではそれが国家の運営にも大きな影響を与える。それほど甚大な存在になったので、「あまりにも大きな存在」として警戒されるのだ。しかし筆者はその実体は“臆病な怪物”だと思う。

最近よく使われる「risk-off」とか「risk-averse」という単語が意味するところを具体的に言えば、「投資をキャッシュに戻す」または「リスクが高いと思われている投資から、リスクが低いと思われている先進国(米国、日本など)の国債などに投資を移し替える」ことなどを意味する。そして「安全」と見れば「risk-on」となる。その繰り返しだ。臆病であるが故に、マネーが機敏に、断固として、そして時に暴力的に動くのは「risk-off」のときである。

ご注意:本コラムは、上記掲載日から1ヵ月程度前に伊藤洋一氏が執筆されたものです。
閲覧される時期によっては、現状に即さないことも予想されます。また、内容には仮定に基づいた記述も含まれます。ご了承ください。

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