2005年11月25日
この稿は前回Q&A「1980年代の日本はなぜバブル景気になったのですか?そしてなぜバブルは崩壊したのですか?(その1)」からの続きです。日本のバブルの本質はロナルド・レーガン大統領の採用した経済政策「レーガノミックス」とその修正にあるのですが、そのレーガノミックスはなぜ、どのような背景から採用されたのでしょうか。そこにはベトナム戦争後に起きたアメリカの猛烈なインフレが横たわっています。
ここでは日本のバブル発生の「原因の原因」となった、1970年代末のアメリカの歴史的なインフレについて見てゆきます。1970年代後半から80年代初頭にかけて、アメリカは2年続けて2ケタ上昇の激しいインフレに見舞われました。
インフレはベトナム戦争と同じくらいの威力で、米国人の生活と社会を激変させました。1978年(昭和53年)のアメリカの消費者物価は+9%上昇しました。これはフォード政権最後の年だった1976年の消費者物価(+4.9%)だったのと比べるとたいへんな上昇です。
1978年末にはホメイニ師によるイラン革命が起こり、石油の輸出が停止されたのをきっかけに第2次オイルショックが起こりました。この時、OPECは原油価格を+14%も引き上げ、世界的なインフレに拍車をかけました。翌年の1979年(昭和54年)になるとOPECはさらに原油価格を2倍に引き上げたため、この年のアメリカの消費者物価は+13.3%にもなりました。これは第二次大戦が終わった1946年以来の最悪の記録です。
カーター政権下の1979年秋に、新しいFRB議長としてポール・ボルカー氏が就任し、真っ先に取り組んだのがインフレの根絶でした。FRBはアメリカの銀行がFRBに預ける準備金の額を(間接的にではなく)直接引き上げることによって、FRBが通貨量を直接コントロールすることにしました。
1979年10月から採用されたFRBの新政策は、すぐに金利に大きな影響をもたらします。それまで12%台だったアメリカのプライムレート(最優遇貸出レート)は、1979年秋には一気に15.75%まで上昇。翌1980年2月には16.5%になりました。
1980年夏ごろになると、FRBの採った強烈な高金利政策は徐々に効果を現わし、物価の上昇ペースは落ちてきました。しかしFRBは金利を下げることはなく、翌1981年夏にはプライムレートは20%を超えました。この空前の高金利によって、アメリカは徐々に不況色を強めてゆきます。不況になれば国民の生活は苦しくなりますが、同時にインフレも弱まります。1982年秋ごろに消費者物価の上昇はようやく+3%台に収まり、その後10年以上にわたって物価上昇はこの水準が続くことになります。
後からふり返ってみれば、アメリカのインフレのピークは1980年夏、金利のピークは1981年秋ということになりますが、想像を絶する高金利が峠を越えるまでに丸2年が費やされたことになります。こうして第2次オイルショックをはさんでアメリカを襲った戦後最大のインフレは収束するのですが、この時の高金利政策が後に大きな問題となって跳ね返ってきます。
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