1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

日本郵船株式会社 創業者 岩崎弥太郎

1893~1896年 日本の近代産業を育成するために

近代国家としてスタートを切った日本は、帝国憲法の発布に続き、法体系の整備を急いでいた。時の首相伊藤博文は、商法に基づいた近代的な会社組織を作るため、手本として日本郵船を選び、定款づくりにあたった。こうして1893年(明治26年)12月1日、日本最初の株式会社のひとつとして日本郵船株式会社が誕生した。

この頃、産業界でも日本の近代化を推進する動きが起こっていた。繊維産業の隆盛である。綿糸の国内生産が輸入高を上回る勢いに達していたが、さらに国際的に太刀打ちできる品質のものを作るには、長繊維のインド綿が必要だった。日本の近代産業を育成するために、ここでもまた日本郵船が大きな役割を果たそうとしていた。1893年11月7日、広島丸が日本初の遠洋定期航路の第1船として、ボンベイへ向けて神戸港を出帆した。しかしこの航路に、またしても英国のP&O社が立ちはだかる。同社を中心に、イタリアなどの船会社が同盟を作って、綿花1tにつき17ルピーという高額な運賃カルテルを形成していたのだ。日本郵船のボンベイ航路開設は、日本の産業育成のために、この独占支配を打ち破ろうとする挑戦であった。2年半にわたる激しい競争が始まった。同盟側は相次ぐ値下げ攻勢を行ったが、日本の繊維業界と日本郵船は団結してこれに耐え、結局、1896年(明治29年)、日本郵船は同盟への加盟を認められ、4社間で1t12ルピーと定めた協定が成立した。
こうして日本初の遠洋航路は確立され、日清・日露戦争を経て日本の海運業は飛躍的な発展を遂げていくことになる。それはまた、日本が近代国家として世界と肩を並べていく道程でもあった。

議事録

日本郵船株式会社第1回取締役会議事録

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IRマガジン2001年7-8月号 Vol.50 野村インベスター・リレーションズ

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