1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

資生堂創業者 福原有信・初代社長 福原信三

1915年 初代社長のもうひとつの顔

大正8年

大正8年(1919年)頃の資生堂。
左が出雲町店[薬品部・飲料部]、
右は竹川町店[化粧品部]。

大正4年(1915年)、福原有信から事業を受け継いだのは、三男の信三である。福原信三について平凡社の大百科事典を引くと、冒頭に「日本の代表的なアマチュア写真家」とある。信三はもともと画家を志していたが、長兄の病気、次兄の早世もあって、有信に諭されて経営を継いだ。しかし、芸術への思いは強く、経営の傍ら、写真芸術社を興し、写真集『巴里とセーヌ』『西湖風景』をはじめ印象派風の作品を発表した。著書『光と其階調』では「写真芸術は自然を端的に表現する俳句の境地に近い」とする主張を展開し、写真界に大きな影響を与えた。

フローリン

『フローリン』
(大正4年・1915年)。
楕円筒系の瓶とローマ字のラベルがモダンだった。

ともかく、家業を継ぐ決意をした信三は、千葉医学専門学校(現・千葉大学医学部)を卒業後、明治41年に米国・コロンビア大学薬学部に留学し、卒業後はドラッグストアや化粧品工場で2年間働いた。その優れた働きぶりは、帰国の際に社長から化粧品の処方箋をプレゼントされたというエピソードからもうかがえる。欧州経由で帰国した後、信三は薬局の隣に化粧品部のビルを建て、新しい商品の開発にのりだした。
その先駆けとなったのが、大正4年発売のヘアトニック『フローリン』である。ローマ字表記のラベルも信三のデザインになるものだった。

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IRマガジン1998-9年12-1月号 Vol.35 野村インベスター・リレーションズ

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