先駆者たちの大地

株式会社三越 創業者 三井高利

1896〜1928年 デパートメントストア宣言

本店新館の中央ホールの写真
1914年9月15日に完成した本店新館の中央ホール。中央階段と採光天井が荘厳な雰囲気を醸し出していた

1896年、三越は、ブルーミングデール、ワナメーカー、メーシーなどアメリカの有名百貨店の調査・研究を開始した。内容は、建物や施設をはじめ、組織、職制、販売ノウハウにも及ぶもので、この研究成果を基に、三越は旧来の小売店から近代的小売業への転換を図るべく経営改革に乗り出した。
その頃三井家では、全事業を統括する持株会社「三井合名会社」の設立準備が進められていた。直系事業の再編成が進むなかで、三井銀行・三井物産・三井鉱山・三井呉服店のうち事業規模の小さい呉服店を分離独立させることになり、1904年12月10日、株式会社「三越呉服店」が設立された。顧客や取引先に発送された挨拶状には、三越呉服店が三井呉服店の事業すべてを引き継ぐ旨の案内とともに、今後の方針として「米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現いたすべく」と、デパートメントストアへの変革が謳われていた。明けて1905年1月2日、全国主要新聞に株式会社三越呉服店の全面広告が掲載され、挨拶状と同文の言葉によってこの変革は全国に向けて宣言された。これが、日本の百貨店の始まりとして有名な「デパートメントストア宣言」である。品揃えは、呉服、洋服、雑貨、小物にとどまらず、輸入品を加えて、化粧品、帽子、子供服などへと広がっていった。

日本初のエスカレーターの写真
本店新館・日本初のエスカレーター(大正時代)

近代的百貨店の完成
デパートメントストア宣言以降、本格的百貨店の建設準備を進めてきた三越は、1914年(大正3年)9月15日、新館を完成させ、10月1日から営業を開始した。白煉瓦で造られたルネサンス式の建物に最高技術を結集した本店新館は「スエズ運河以東最大の建築」と称され、日本の建築史上に残る傑作となった。地下1階地上5階、日本初のエスカレーターをはじめ、エレベーター、スプリンクラー、暖房換気、金銭輸送器、スパイラルシュートなどの最新設備が施され、屋上には庭園、茶室、音楽堂が設けられていた。商品は百貨全般にわたって揃えられ、新たに食料品部・茶部・鰹節部・花部が設置された。デパートメントストア宣言から10年。ここにいたって、近代百貨店としての形態が整ったのである。

新聞広告の写真
1905年1月2日に全国主要新聞に掲載された「デパートメントストア宣言」の新聞広告

なお、この新館は1923年の関東大震災で損壊し、修築を行った建物は1927年(昭和2年)に開店。1935年には増築改修を終え、地下2階地上7階建て、国会議事堂や丸ビルに次ぐ大建築として誕生した。現在の日本橋本店はこの時のもので、冒頭に紹介したパイプオルガンが設置されたのもこの時である。この間、1928年6月1日に株式会社三越呉服店は株式会社「三越」へと商号を改め、名実共に近代的百貨店への移行を完成した。

IRマガジン2003年1-2月号 Vol.59 野村インベスター・リレーションズ