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| 1890年頃の越後屋店舗全景 |
三越という名前が生まれたのは、1872年(明治5年)のことである。明治維新後の越後屋呉服店は経営不振が続き、大蔵省は、銀行を設立する準備に入っていた三井家に呉服店の分離を勧告した。これを承諾した三井家では、三井の“三”と越後屋の“越”をとって新たに三越家を創設し、三井家が三越家に呉服店を譲渡する形で分離が行われた。その後1893年になって三越姓は三井姓に戻され、同年、それまで個人商店だった越後屋を改組し、合名会社「三井呉服店」が誕生した。
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| 越後屋店内の陳列場。1895年に東京本店の2階を陳列場に改装、1900年には全館を陳列場とした |
明治に入ってからも、販売方式の新機軸は次々に打ち出された。1883年に鹿鳴館が落成して洋装が流行し始めたが、三越はこの動きに着目し、1888年、本館の西側に洋風塗屋作り2階建ての三越洋服店を開店させた。そして1895年には、東京本店の2階を改装して陳列場を開設した。欧米の百貨店にならって、ガラス張りのショーケースに商品を陳列し、自由に見て回れるようにしたものである。従来の呉服店の販売方式は、畳に座って客を待ち、求めに応じて商品を取り出して見せる座売りだったが、広く庶民にアピールするには、もっと合理的な方法が必要だったのだ。さらに1900年には全館を陳列場として好評を博し、三越の評判はますます高まっていった。この頃三越は、次の大きな変革へ向けて動き始めていた。呉服店からデパートメントストアへの転換である。
IRマガジン2003年1-2月号 Vol.59 野村インベスター・リレーションズ