先駆者たちの大地

株式会社三越 創業者 三井高利

1673年 江戸本町に越後屋開店

駿河町越後屋正月風景の浮世絵の写真
駿河町越後屋正月風景の浮世絵(作・鳥居清長)

現在の三井グループへと続く三井家の家祖が、三井高利である。三越の創業に触れるには、まず三井家について書き留めておかなければならない。三井家はもともと三井越後守を名乗る武家であったが、高利の父の代に商人となり、三重県の松坂で質屋の傍ら酒と味噌を売る店を営んでいた。「越後殿の酒屋」と親しまれたその店を切り盛りしていたのは、高利の母、殊法である。殊法は三井の商売の祖とされる才覚に富んだ女性で、高利はその母の薫陶を受けて育ち、商売の基礎を身につけていった。14歳になると高利は江戸へ出て長兄の店を手伝いながら商才を磨き、28歳で松坂に帰って結婚、家業を継いだ。そして1673年、再び江戸へ出て、いよいよ呉服店「越後屋」を開店する。場所は江戸本町1丁目、現在の日本銀行新館の辺り。この間口9尺(約2.7m)の小さな仮店舗が、三越330年の歴史の始まりである。

江戸時代の越後屋店内の写真
賑わいを見せる駿河町の越後屋店内(江戸時代)

店頭売りと切り売り
開店と同時に、高利は2つのサービス商法を開始した。「店前現銀無掛値(たなさきげんぎんかけねなし)」と「小裂何程にても売ります」、つまり店頭販売と切り売りである。当時、いわゆる大店(おおだな)では現金扱いの小売りは行われず、見本を持って得意先を回る「見世物商い」か、品物を直接得意先に持ち込む「屋敷売り」がふつうで、支払い方法は盆と暮れの節季払いという掛け売り方式が習慣となっていた。得意先が裕福な商家か大名や武士といった特権階級に限られていたためだが、これでは金利がかさむぶん商品の価格は高くなるうえ、資金の回転も悪い。それを高利は、店先で販売する現金売りに改めたのである。外回りの経費や金利がかからないため、掛け値なしの正札で販売することができる。この方式は当たり、越後屋の客層を広げることになった。「小裂何程にても売ります」も好評を博した。当時は反物単位の販売しか行われていなかったため、切り売りは江戸町民に大いに支持されることとなった。高利が最初に行ったこの2つの新商法は呉服店のポジションを変えた。商店は文化を生み出す場へと変わろうとしていた。

IRマガジン2003年1-2月号 Vol.59 野村インベスター・リレーションズ