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| 電子材料のひとつTAB(Tape Automated Bonding)。銅配線されたフィルムに、ICチップが一括ボンディングされる。三井金属は、トン単位のビジネスからミクロン単位の技術まで手がけている |
順調に推移してきた三井鉱山であったが、第二次世界大戦後は、大きな打撃によって始まった。GHQによる財閥解体である。1948年当時、三井鉱山は、資本金4億円、総売上高163億円、従業員数8万3,870人という巨大企業に成長していたが、保有株はGHQが設立した持株会社整理委員会に譲渡させられ、財閥の称号と商標も使用禁止、会社は石炭部門と金属部門に分割されることになった。その後1950年に、再建計画によって金属部門を神岡鉱業株式会社として設立、1952年には財閥称号の使用禁止が解除されたため、三井金属鉱業と改称した。
1950年、朝鮮戦争が始まり、特需景気によって日本経済は戦後の不況から脱した。金属鉱業各社の業績は急伸し、三井金属鉱業は1951年から8年間、一般水準の2倍という高い給与を誇り、学生の就職希望ランキングでも常にトップだった。しかし、特需景気が終わり、一転して深刻な不況が訪れると、それ以降は苦難の連続となる。貿易の自由化、円高、オイルショック、産業構造の変化などに翻弄され、三井金属鉱業は幾度となく経営の危機に見舞われた。しかし、大幅な合理化、果敢な海外展開、多角化などによって苦難の道を乗り越えてきた。そして21世紀の始まりとともに、三井金属は大きな変化を迎えることとなった。
非鉄製錬事業からの脱皮
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| 金属を酸化させたり、粉体にすることで生まれた機能粉 |
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| 銅箔、TABテープ、レアメタル化合物、金属粉など携帯電話にはさまざまな三井金属製品が使われている |
2000年3月末の三井金属の従業員数は、本体単独で2,902名。幾度にもわたるリストラが完了し、三井金属は少数精鋭の企業体として生まれ変わった。実際、現在の同社は違う企業といっても差しつかえないぐらいの変貌を遂げている。その端緒となったのは、1989年6月の組織改変である。社内プロジェクトで1年かけて検討した結果、それまでの「非鉄製錬とそれ以外」という分け方ではなく、「鉱山・基礎素材」「中間素材」「部品加工」という事業領域を定めて事業本部制とし、異なる事業文化を育てることを目標としたのである。つまりこれは、成熟産業である非鉄製錬からの脱皮を意図したものだ。では、脱皮したあとに向かうべき目標は何か。それは電子材料という新たな素材への移行である。非鉄製錬から電子材料事業へ。それが新しい三井金属を語るキーワードとなる。
IRマガジン2001年9-10号 Vol.51 野村インベスター・リレーションズ