1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

花王創業者 初代 長瀬富郎

1925年~ 二代目の時代へ

昭和の時代を担ったのは二代目富郎である。大正14年(1925年)、同志社大学を退学して長瀬商会に入社した富郎は、花王石鹸株式会社長瀬商会に組織変更した。その後、祐三郎と常一の長男も経営に加わり、花王石鹸は二代目の時代を迎える。

新装花王石鹸

新進デザイナー原弘の斬新なデザインによる『新装花王石鹸』。この公募には広川松五郎などの一流デザイナーのほか、劇作家として名を成す村山知義なども応募した。

花王シャンプー

『花王シャンプー』。パーマの流行とともに需要が拡大した。

社長に就任した二代目富郎は、『事業の目的とは』と社員に問いかけた。彼は、事業の目的は『社会の進歩発展に則して、人々の要求に適合した製品を供給することによって、社会的な使命をまっとうすること』としている。この目的を実現するために人材登用と一致協力の精神で力を涵養することが、新しい会社の理念となった。役員会を設置し、店員徒弟制度も廃止された。こうした近代合理精神は、欧米視察から体得したものであろう。彼は、デパート、チェーンストア、通信販売会社を精力的に巡り、プロクター&ギャンブル社の視察についての見学記を残している。
この時代を象徴する製品は『新装花王石鹸』である。東北大学に学んだ川上八十太を研究主任にすえて徹底した品質改良を進めるとともに、包装デザインの改良にも取り組んだ。デザインの試作コンクールには当代一流のデザイナーの作品が集まったが、最終的に選んだのは最年少の原弘の作品だった。オレンジ色に白抜き文字で「Kwao・Soap」と描かれた『新装花王石鹸』は昭和6年(1931年)に初出荷されたが、戦後も昭和40年代まで広く親しまれた。『新装花王石鹸』の発売は、当時の乱売合戦に花王石鹸も巻き込まれつつあったことに対抗したもので、「純度99.4%」と品質を広告でうたうとともに、特約店に対して新製品3ダースにつき旧製品を2ダース引き取るという画期的な流通在庫の圧縮政策を行った。当初は予想を超える旧製品の返品と、新製品の浸透の遅さに苦しんだが、2年後には一気に売り上げが伸びていった。

二代目富郎は、昭和9年に長瀬家事研究所を設立して主婦向けに家事諸般の啓蒙活動を行い、製品では昭和7年に『花王シャンプー』、昭和9年に粉石鹸『ビーズ』を発売するなど、トップメーカーの地位を不動のものにしていった。

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IRマガジン1999年8-9月号 Vol.39 野村インベスター・リレーションズ

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