1. 先駆者たちの大地

先駆者たちの大地

花王創業者 初代 長瀬富郎

1895~1906年 出資銀行の破綻で窮地に

包装室

請地工場の包装室

明治28年(1895年)、花王石鹸は発売5年で4.4万ダース、3万円余を売り上げる驚異的な成功をおさめた。もう、家内工業的な生産では追いつかなくなってきた。村田の工場では鉄釜を職人が撹拌して鹸化や塩析を行い、型枠に流してさらに練り作業を行う。できた製品は天日乾燥し、木槌で1個1個刻印しており、同業に比べても近代化では大きく遅れていた。そこで、明治29年に向島須崎に新工場を建設した。鹸化や塩析は依然として職人仕事だったが、足踏み式切断機、型打ち機、乾燥室などを設置した。それでも明治32年には売り上げが6万円を超えるほどになったので、急遽、同じ向島請地に新工場を建設し、米国から機械練装置一式を導入することにした。

請地工場

明治35年(1902年)に竣工した請地工場

ところが、馬喰町、横山町界隈の小間物商が共同出資して設立した東西銀行が明治33年に破綻した。組合の副頭取となっていた富郎は、東西銀行の取締役に就いていたので、債務整理のために私財16,500円を拠出するなど『筆紙ニ顕シ』難い辛酸をなめた。増産投資もままならず、石鹸の売り上げも6万円台の停滞が続いた。
その傷が癒えた明治35年暮れ、ようやく請地工場が稼働し、仕込みから包装までの一貫生産が実現した。売上高も明治40年には一気に10万円を突破した。
この請地工場には明治39年に石鹸工場初の試験室が設置された。

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IRマガジン1999年8-9月号 Vol.39 野村インベスター・リレーションズ

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