先駆者たちの大地

株式会社荏原製作所 荏原創業者 畠山一清

1920〜1926年 関東大震災で発揮された「熱と誠」の精神

大崎工場の写真
1921年完成の大崎工場はわが国初の最新鋭のポンプ専門工場

1920年、東京府荏原郡品川町(現・品川区)に最新鋭の工作機械を備えた大崎工場を創設し、「株式会社荏原製作所」を設立した。そして翌年には、ターボブロア(送風機)の製作も開始する。大戦も終息して景気が冷え込み、舶来品崇拝が復活しつつあったが、畠山は陣頭に立って、灌漑、水道、化学、鉱山向けの注文を獲得していった。特に、灌漑用を独占していた英・アレン社に勝ったことが大きい。

一方、水道用は独・ズルツァー社の牙城だった。この闘いで、畠山の「熱と誠」の精神の真骨頂が発揮される。 実は関東大震災の2年前にも、かなりの大地震があった。東京市の水道は、多摩川から玉川上水で新宿・淀橋浄水場に導水していたが、水路が数カ所決壊したため3日間も断水した。この時畠山は一本の用水に依存する状況に危機感を抱き、市長に予備設備の必要を進言した。しかし、役人は予算不足をたてに動こうとしない。業を煮やした畠山は、自費で予備設備を据え付けた。緊急時には旧神田上水から6台のポンプで揚水しようというのである。

果たして、1923年9月1日、関東大震災で首都は壊滅し、玉川上水も寸断された。そこで予備ポンプを動かしたところ、翌日には水道が復旧したのである。
「大地震と大火事のあとには、悪疫がつきものとされている。にもかかわらず、悪疫の発生を未然にくいとめることに成功したのだから、私はもちろん、関係者は大喜びだった」(自著「熱と誠」より)
それでも、東京市は1926年のターボポンプの交換でもズルツァーを採用するという。畠山は粘り強く交渉し、ズルツァーと荏原、日立、三菱の国産勢で公開性能競争を行うところまでこぎつけた。結果は国産勢の圧勝だった。さらに名古屋市でも荏原の送水ポンプがズルツァーを追い落とし、遂に決着がついたのだった。

IRマガジン2000年5-6月号 Vol.43 野村インベスター・リレーションズ